藤棚

我が家は市道から少し奥まったところにあるのだが、その市道から見たのがこの写真。カイヅカイブキで見えないが、母屋は左にある。正面、キャラボクの奥に見えているのは倉庫(以前は車庫だった)、かなりボロイ。

少しは見映えを良くしようと、倉庫のリフォームを考えているのだが、それだけではなく、いっそ倉庫の手前に藤棚を作ってみようと思い立つ。

entrance

場所的にはこんな感じ。高さは2.7メートルくらい。左手に柱を2本立ててしまうと倉庫を車庫として使うときに車を入れにくそうなので、柱は3本。上から見ると三角形の棚にした。

garage2.jpg

柱を立てる方法が第一の悩みどころ。何事も低コスト・あるもの利用を旨としているので、裏に転がっていた物干し台の基礎を使うことに。

base.jpg

真ん中の穴に角材を差し込む。左右の半円を除いた長方形部分は約30mm×50mmなのだが、ちょうどいい角材がなかったので、30mm×40mmを使った。

base2.jpg

これを1×4材で挟み込み、コーススレッドで止めることとした。

作業を始めたのが11月1日。2日にちょうど横浜から甥が遊びに来たので手伝ってもらう。木材カット、色塗り、ビス止めがどんどん進み、写真を撮る暇がなかった。立ち上がった柱がこれ。H鋼みたい。

pillar.jpg

右の2本の柱は、フェンス(これもぼろぼろだが枠はまだ健在)に角材で固定した。

stay.jpg

右の柱2本を繋ぐ。

pillar2.jpg

さらに三角形の長い二つの辺を繋ごうとしたら、ここで大問題。2×4材は長さ約3660mmなのだが、足りない。

継ぎ足すと強度が心配。かといって、柱の間隔を狭めると車の出し入れに不便だ。

強度を確保しつつ継ぎ足す方法を考えることにして、昨日はここまでとした。

震災後、ここで起こったことのほんの一部を映画に

  • Day:2012.09.14 11:15
  • Cat:映画
『つなみ いいおか つぶ 一年』という映画を作りました。

予告篇はこちらに。


千葉県旭市飯岡で、去年の6月から一年間、ヨガ教室で被災者の心と体をほぐし続けてきたゆふがほきららさんの活動の記録です。

一般公開は11月大阪、12月東京を予定しています。

上映会を企画してくださる方を募集しています。試聴版DVDをお送りしますのでご連絡ください。よろしくお願いします。

悼む 山本美香さん

シリアのアレッポで、山本美香さんが銃弾に撃たれて亡くなった。ご冥福を祈るという気持ちにはまだ到底なれない。気持ちが落ち着かない。

医者だったら病人を手当てすることができる、ではなぜジャーナリストは戦場に行くのか?この問いに対して山本さんは明確な答えを持っていた。

「戦場で起こっていることを伝えることが、その戦争の拡大を防ぎ、戦争の終結を早めることにつながる」

後方の「大本営」に置かれた地図、爆撃する戦闘機から見る地上、艦砲射撃する甲板から臨む対岸の煙とは異なって、前線にいるのは粉々に砕かれる生活であり、泣き叫ぶ人間だ。山本さんが報道したいと思ったのはたぶんそのような現実で、それが厭戦気分と戦争終結への圧力につながるという期待をこめていたのだと敬服する。

尖閣諸島や竹島を巡って、原発報道を脇に追いやるように、議論が続く。主権国家としての毅然たる態度が強調される。現実に今の世の中が国家単位で成り立っていること、国家の三要素が主権・国民・領土であることを考えれば、その気持ちは分からないでもない。問題は表現の仕方だ。

戦争とは肉塊が抉られることだ。動きを止めるひとを生む行為だ。山本さんの最後の姿はこのことを教えてくれる。山本さんの姿が頭の片隅にでもあれば、弱腰外交と声高にそしることが賢明な意見表明ではないことが分かる。

永遠のレモンちゃん

37年前、中学三年生。深夜ラジオをよく聞いた。当時の人気番組は文化放送の「セイ・ヤング」、月曜日のDJレモンちゃんこと落合恵子さんの美声に聞き惚れた。

そして今。7月16日のさよなら原発10万人集会での落合さんの声に、胃の腑が突き上げられる思いぞする。


私たちは命への暮らしへの重大なる犯罪と侵略行為の共犯者になる事はできません。
私たちはみずからの存在にかけて戦うことをやめません。
戦うことを人間の誇りにしていきましょう。
私達は決してひるみません。
私達は決して後戻りしません。
原発は要りません。
再稼働許しません。
原発輸出させません。
全ての原発廃炉にします。

私達が守るのはたったひとつ、命です。
私達が守り続けるものも命です。
命であり、暮らしであり、田畑であり、海であり、空であり、全ての命。
脅かされてなるもんかと思います。

原発はもとより、オスプレイも基地もぜんぶ反対です。
なぜなら全てが命を脅かすものだからです。
私達は全ての命を脅かすものと、ここで対峙していきましょう。

子供がいて、お年寄りがいて、人と人とがつながっていて、夏の夕暮れ時には蚊取り線香の煙が上がって、みんなでスイカを頬張って、あの日常を返せぇ!

想像力とは思い出す能力のこと

二年前に書いた「心を虚しくして思ひ出すことができない」の続き。

高橋たか子の『蘇りの家』(高橋たか子自選小説集〈3〉)は、息子ほどの年の雪生と暮らす女の話であるが、その主人公が或る日都心で仲間たちと酒席を囲んだとき、想像力のことが話題になった。女は言う。

「想像力、想像力っていうけどね、想像力ってのは、思い出す能力だと思うわ」

当然誰かが反論する。思い出すのは記憶力だろと。

女はなおも続ける。

「ええ、想像力ってのはいわば記憶力なのよ。自分の体験しなかったことの記憶を、思い出す能力のことよ」


女の考えはこうである。

「これまで無数の人々が死んできた。その人々が生きていた時に感じていた思いの一切は、一人一人の存在の井戸の、下の下へと落下していって、どこか共通の、茫漠と広いところに浮游するようになるらしい。井戸の囲いが肉体なのだ。人が死ぬとは囲いのところが死滅することであり、囲いの内にあった思いの一切は、下へ下へと落下していく。
 たとえば、愛し合っていた無数の男女の組があった。その人たちが死んだ後、愛する思いは死ぬことなく、落下していって蓄積されるらしい。同じ思いが何百年もにわたって積り積っていくと、その思いが厚くなっていき、生きものみたいに強く濃いものになっていく。そうして、内なる空に浮いている。多種多様な思いがそんなふうに浮いている。
 人は誰かを愛する時、私のものではないようなものを私のものとして強力にとりこんで愛してしまう。そのことで、そうでない時の自分とは別人のように、自分が過剰にみたされてしまう。」

※ ※ ※

想像する、というとき、私たちはどんな思考回路をたどっているだろうか。
例えば青空に浮かぶ白い雲を見てパンダの姿を重ね合わせるとき、既にみたことのあるパンダという動物の形を思い出している。また、初恋の人の今を想像する時、実際に見聞きした人の人生や書物などで知った人の半生のパターンのどれかを思い出しているのかもしれない。

そう考えると、想像するということはすでに知っている何事かを思い出すという作業だと言える。

しかし高橋たか子はもう一歩進んで、「想像力とは自分の知らないことを思い出す力のことだ。」と言う。

それは白い雲に実在しない生きものの姿を見出すとき、その空想の産物は自分のオリジナルではなく、かつて誰かが創造したことのあるもので、茫漠と広いところに浮游しているその他人の記憶を、その時思い出したということなのだろうか。

そうであれば、小林秀雄が心を虚しくして鎌倉時代を思い出していた、という文章も理解できる。鎌倉時代の比叡のなま女房は何を思い出していたのだろうか。
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