和風スタジオふすまオープン!

いったいどうしちゃったのかしらと思うぐらい、連日書いています。

雨の中、遠路はるばるナレーターさんと音声さん、写真には写っていませんがもう一方明日成人式を迎える高校の後輩が我が家へ来てくださいました。

studiofusuma

何をしているかと申しますと、ビデオにナレーションを入れているのです。いわゆる「音入れ」です。親父ギャグの一つに、「ちょっと録音室に行って来る」なんてのがありましたが、その「音入れ」です。

去年の10月に行われたイベント「2007 HugNet」の30分バージョンがやっと完成しました。24時間のイベントを30分にまとめるのですから、それはそれは大変・・・、と言いたい所なんですが、時間を縮めるのはそれほど苦にならないのですね。なんせ、時間と空間を飛び越えるのが映像表現の醍醐味でありますから。むしろ絵が変わらないほうが辛いです。

ナレーターさんはHugNetの参加者の一人、ヨーコさんです。高めの声質にディレクターが白羽の矢をたて、お願いしました。初めてのナレーション体験でしたが、画面とばっちりマッチしてました。事前にダミーでディレクター氏が自分の声を入れてみたのですが、比べ物にならないくらい良かったです(当たり前か)。しかし、小学校教諭の道を捨てて芸能界になんて、道を誤ってはいけません。

で、少々堅い話を一つ。
今回、ナレーションを書くとき、一つの言葉がつきまとって離れなかったんです。

「ナレーションは補完ではなくて異化効果を狙う」(森達也『表現者の自由』p159)

異化効果とは何か、うまく説明できませんが、この文脈では、映像を分かりやすくするための情報をナレーションで提供するのではなく、映像と響きあって、あるいは新鮮な驚きを感じさせるような言葉でもって、違う次元の何かを見せるようなナレーションを書くべきということだと解釈します。

この点でいうと、今回の作品ではそのような試みはできませんでした。もちろん、作品の狙いによって、異化効果を狙うよりも同化という手法をとるのも悪いわけではありません。大多数の人々は、映像作品を見るときに同化作用による心地よさを求めているのですから。

ともあれ、これが映像制作再開第一作になりそうです。

表現者の自由―映像の力と責任をめぐる対話表現者の自由―映像の力と責任をめぐる対話
(2004/07)
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