インドネシアの国際協力プロジェクト報告会

何を隠そう(隠してもしょうがないのですが)実は私、ジャカルタに三年間住んでいたことがあります。国際協力の実施機関JICA(ジャイカ)のインドネシア事務所員でした。1997年から2000年までのことで、大暴動や経済危機、チモール独立といった大事件が次々に起こった、インドネシアの一大転換期でもあります。

昨日はそのJICA(国際協力機構)で、一つのプロジェクトの終了報告会が開かれたので、いそいそと出かけました。
5shot

左から、東南スラウェシ州ワカトビ県知事のフグアさん、後発地域開発省次官のタタックさん、NGO「LINGKAR」代表のマナランガさん、凛々しい通訳の山田さん、NGO「INCREACE」代表のファリーさんです。

何のプロジェクトかと申しますと、地域住民のコミュニティを強化する世話役を育成するプロジェクトです。フグアさんとマナランガさんはその育成された世話役のうちの2人です。正式な名前は「市民社会の参加によるコミュニティ開発プロジェクト」といいますが、長すぎて覚えられませんので「市民社会プロジェクト」としておきます。

インドネシアというとバリ、じゃなくて開発(発展)途上国、開発途上国というと先進国からの援助、援助と言えば…、と連想される方も多いと思います。
このプロジェクトも日本の援助プロジェクトの一つですが、ちょっと一味違います。

困っている人に手を差し伸べることに反対する人はいませんよね。でも、あんまり助けすぎると今度はその人が甘えてしまって自立できなくなってしまう…というのはよく言われることです。

援助や国際協力の世界にも同じような問題があります。先進国が気前よくなんでもしてくれるので、いわゆる「援助慣れ」して自ら何とかしようとしなくなってしまうのです。
援助機関は獲得した予算を使わないと翌年減らされてしまうので使い切ろうと努力しますが、予算が過剰だったり、本当に必要としているところに使うことができないと、逆効果となってしまいます。

市民社会プロジェクトではこのような状況を何とかしたい、本当に住民達が必要としているところで、住民達が自分達の希望を自ら何とか解決できるような力量を備えることを支援する、ということを目的にしています。世話役は、その支援を直接する人です。

通常の援助事業では、住民参加型と銘打つ場合でもほんの数回住民達からヒヤリングをして、援助する側または援助される側の政府(中央・地方)が、プロジェクトのアウトラインを提示して進めていきます。それじゃあよくないんじゃないか、援助がなくなったら結局元の黙阿弥ではないか、というのが問題意識です。このプロジェクトは、行政⇒住民という流れを逆転させようという試みですね。世話役はその触媒でもあります。

PKPM報告会全景

心に残ったのは、「あれがない、これがない」と要望するよりも、「あるもの」を活かしてやっていこう、という気持ちを共有していることです。そう、よく 見ればあるんです、何もかも。

Comment

あるはない、ないはある
確かに「あれがない、これがない」という話はよく聞きますね。
インドネシアに行った折りにも現地の日本人からよく聞きました。

でも現地の農民達は「代わりのもの」を作り出す天才です。種を播くポットがないといったら、土を固めたサイコロ状のものを作ってくれました。苗を移植するポットがないといったら、バナナの葉をくるっと巻いて、竹を細く割いたピンで止め、いっぱい作ってくれました。日除けの寒冷紗がないといえば、バナナの葉や、ヤシの葉、笹などで工夫します。

「ある」ことによって「ない」ことが作られているような気がします。

また彼らはいいと思ったら、大胆な投資もします。トマト栽培にマルチを使って効果があるのを見たら、チャベ(唐辛子)にマルチを使い、収量を倍にしました。

農民は政府のお役人が考えているほど、無能ではありません。希望も持っています。

一番困るのは、政府のお役人が希望を持っていないことです。端からできないと思いこんでいることです。

自分たちで自分たちの希望が達成できるような、力が発揮できるようなプロジェクト、もっともっとあるといいですね。
  • 2007/02/21 00:22
  • 紫陽花
  • URL
  • Edit
Comment Form
公開設定

Trackback


→ この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。