悼む 山本美香さん

シリアのアレッポで、山本美香さんが銃弾に撃たれて亡くなった。ご冥福を祈るという気持ちにはまだ到底なれない。気持ちが落ち着かない。

医者だったら病人を手当てすることができる、ではなぜジャーナリストは戦場に行くのか?この問いに対して山本さんは明確な答えを持っていた。

「戦場で起こっていることを伝えることが、その戦争の拡大を防ぎ、戦争の終結を早めることにつながる」

後方の「大本営」に置かれた地図、爆撃する戦闘機から見る地上、艦砲射撃する甲板から臨む対岸の煙とは異なって、前線にいるのは粉々に砕かれる生活であり、泣き叫ぶ人間だ。山本さんが報道したいと思ったのはたぶんそのような現実で、それが厭戦気分と戦争終結への圧力につながるという期待をこめていたのだと敬服する。

尖閣諸島や竹島を巡って、原発報道を脇に追いやるように、議論が続く。主権国家としての毅然たる態度が強調される。現実に今の世の中が国家単位で成り立っていること、国家の三要素が主権・国民・領土であることを考えれば、その気持ちは分からないでもない。問題は表現の仕方だ。

戦争とは肉塊が抉られることだ。動きを止めるひとを生む行為だ。山本さんの最後の姿はこのことを教えてくれる。山本さんの姿が頭の片隅にでもあれば、弱腰外交と声高にそしることが賢明な意見表明ではないことが分かる。

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