ロダさんは南部スーダンの独立を願うのか

  • Day:2011.01.03 19:52
  • Cat:映画
明日スーダンに向けて出発するので気忙しい。忘れ物名人だから、何かを忘れるのは仕方がないので、現金、パスポート、eチケット、ビデオカメラ、テープだけは忘れないようにしようと荷造りをしたところだ。

報道でもちらほら見かけるように、9日から南部スーダンの独立を問う住民投票が行われる。ジョン・ガランが唱えた「New Sudan」の理念(統一スーダンの民主化)にもかかわらず、圧倒的に独立賛成票が多いだろうと言われている。この歴史的な出来事の中で、名もない一人ひとりがどんなことを考えているのかが興味深い。それは正史には残らないことが多いから、記録する価値がある。

私は3年前にジュバのある家族と知り合いになった。老夫婦と孫たち(といっても成人している)で暮らす家庭だ。老夫婦の子供たちは内戦に参加して行方不明になったり、家出したり、病気で死んだりして誰もいない。家出した娘の子供たちが残された。孫娘のサンディは子供を二年前に産んだ。本来なら4世代家族だが、上から2番目が抜けた3世代家族である。この家族がどちらに投票するのか、というのが今回の取材の第一の目的である。

夫婦の名前はヨセパとロダという。1983年。第二次内戦が始まった時には結婚してジュバにきていた。ジュバに住んでいた夫妻にとって、一言で独立賛成と言えるほど今回の住民投票は単純ではないだろうと推測している。というのは、彼らはずっと北の政府支配下に住んでいたからだ。

現在ジュバは南部スーダンの首都であるが、内戦中は北部政府の支配下にあった。つまり政府軍がジュバを守っていた。戦闘はジュバ以外の街やブッシュで行われた。ただ、南部スーダン人民解放軍(SPLA)がジュバに攻め入ったときがあった。1992年7月7日のことである。地元の人はこの日の戦闘を「サバ・サバ」と呼んでいる。ヨセパとロダの家はその時焼かれた。幼いサンディをおぶって逃げ回ったとロダさんは言う。内戦中最大の恐怖は、SPLAによってもたらされたものだ。独立すればそのSPLAが政権をとる。

しかし、もうひとつ事情がある。夫婦の息子(ラドとワニ)は小学生の時に内戦に参加している。SPLAに加わるために家出した。ロダさんの話では自発的に参加したようだが、ひょっとしたら連れ去られたのかもしれない。自発的に参加したのなら息子たちの軍であるSPLAを支持していたとしてもおかしくない。連れ去られたとしたら…どちらだろうか。

家出した娘オンジュマさんは、ハルツーム(北部)近郊の、ロダさんの妹マリアさんのもとに身を寄せた。今回、北に避難していた南部人が続々と戻ってきているという。オンジュマさんやマリアさんもひょっとしたらその中にいるかもしれない。だがもし彼女たちが北を永住の地と選んだとすると、南部が独立すればロダさんは妹と娘と違う国の国民となってしまう。それでもロダさんは独立に賛成票を投じるだろうか。

かように個人の事情を知れば知るほど、独立か統一かを選択しなければならない今回の住民投票が個々人に突きつけるものが、これまでの出来事と密接に関係しているものだということを感じる。これを表現できれば最高だと思う。

yosepa_roda
ヨセパとロダ

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