捨てられた銀杯

元シベリア抑留者に一時金を支給する特別措置法が16日成立した。同日に生存している対象者に、25万円~150万円を支給するというもの。16年前に亡くなった父は、どんな気持ちでこのニュースを聞いているだろう。

父は大正14年生まれ、最後の招集組として満州に従軍した。そして抑留である。

ただ、抑留されたのはシベリアではない。カスピ海沿岸のクラスノヴォトスクという町。今でいえばトルクメニスタンである。

トルクメニスタンは砂漠の国、寒暖の差が激しい。しかし極寒のシベリアに比べたらましなほうだっただろう。

父から直接聞いたのか、また聞きかは忘れたが、ドイツの女性兵も収容されていたらしい。2年間そこで過ごした二十歳そこそこの父は、片言のロシア語とドイツ語を覚えたようだ。赤化教育ももちろん受けた。が、どことなく覚めた性分だった父はこれともまた天皇をめぐる言説と同様、距離を置いていたのだろうと思う。

仕事は煉瓦積みやセメントを使った土木建築作業が中心だったようだ。庭に池を作ったり、マメにセメントワークをしていたのはこの時の体験に基づいている。

いつだったか、被抑留者に対して日本政府から銀杯が贈られたことがあった。父は気が進まなかったようだが母の勧めもあって一応それを手にした。が、捨ててしまった。

エリツィン元大統領が、1993年の10月来日した際、ロシア政府及びロシア国民を代表して抑留という非人間的な行為について謝罪の意を表明した。これを父はどう受け止めたのだろう。ほぼ一年後に命を奪うがん細胞はすでに彼の体に巣食っていたのだろうか。

シベリアよりましだったからと言って、ドイツ女性兵がいたからといって、自由を拘束された二年間(+従軍期間)が辛くなかったわけはない。現にこの収容所でも72名が死亡している。銀杯を捨てる時、父がどんな気持ちだったのだろうとも今さらながら思うことがある。

生きていたら、給付金を手にしただろうか。手にすることは行き場のない感情を多少なりとも癒すことになったのだろうか。

Comment

はじめまして。突然のコメント失礼します。
DVDが発売されたばかりのカネフスキーの映画を見ていたら、「シベリア抑留」で死んだ大叔父の話を思い出し、ネットをさまよううちにここにたどり着きました。

どうやらお父様は、私の大叔父と同じ収容所にいたみたいです。ネット情報なので不確かですが、72人のうち自害した軍医が大叔父です。

抑留については家族が話したがらないため何も知らなかったのですが、こちらの記事のおかげで、はじめて現地のイメージがわきました。
つらい日々を生き延びられたお父様の体験が、忘れられずに生かされますように。
  • 2010/08/31 02:25
  • むふ
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むふ様 興味深いお話をありがとうございました。父はきっと大叔父様にたびたびお世話になったことでしょう。以前は片貝のほうの戦友とも交流があったのですが、今あの方はどうされているのだろうと時々思います。奇しくも今日は父の誕生日です。思い出させてくださってありがとうございます。
  • 2010/08/31 07:47
  • omiya
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