銚子商業vs習志野

子どもの頃、スポーツと言えば野球だった。三角ベースやソフトボールを含めて、野球だった。6年生の時にミュンヘンオリンピックの男子バレーボールに感化されなければ、中学で野球部に入っていただろう。

中学2年生の夏、銚子商業高校が夏の甲子園で全国優勝を果たした。凱旋パレードを網戸(あじど)の交差点で見たことを思い出す。土屋投手は神様だった。

昨日の朝、新聞で春季高校野球千葉県大会決勝が行われるのを見た。銚子商業vs習志野である。30数年前にタイムスリップしたかのようなカードではないか。これは行かねばならん、と銚子市野球場に足を運ぶ。

作新学院が練習試合に来たことがあった。あれはこの球場だったか、それとも商業のグラウンドだったのだろうか。友達が江川のデカイケツをに触ったと自慢していた。あまり羨ましくはなかった。



点差は開いてしまったが、キラリと光るプレーがあった。ビデオの魅力は繰り返し見ることが、しかもスローにしたりできることだろう。

上述の1974年の夏の甲子園、銚子商業の優勝はただの優勝ではなかった。この優勝は3年間にわたる大河ドラマのクライマックスだったのだ。だから住民は奇跡を見るかのように欣喜雀躍した。あのときほどこの地域の人たちの気持ちが一つになったことはないだろう。

1972年の春、銚子商業は甲子園に出場した。ピッチャーは根本隆。前年の夏の甲子園ではベスト8に進んでいた。
そして大鉄(大阪)を2-1、鹿児島実(鹿児島)を3-2、市神港(兵庫)を13-3で下した。準決勝で日大三(東京)に敗れたものの、堂々のベスト4であった。これは、1965年の夏に準優勝して以来の快挙と呼ばれた。誰もが根本は木樽の再来と思い、夏の出場を確実視した。しかし、夏の予選ではまさかの敗退。相手は掛布がいる習志野だった。

翌春、銚子商業は春の甲子園に出場。根本は卒業していたが、応援する側は前年のベスト4を上回る成績を期待した。準優勝か優勝を、である。そして一回線、相手は兵庫県の報徳学園である。商業のピッチャーは飯田-土屋。結果は目を覆うほどみじめなものだった。16対0。帰郷した選手たちを待ち構えていたのは罵詈雑言だった。

それでも選手たちは挫けなかった。誰もがリベンジを心に誓った。

夏、一回戦で岡山東商(岡山)を1-0で下したとき、彼らは報徳学園の悪夢を追い払うことができただろう。二回戦は江川の作新学院(栃木)を1-0で下し、3回戦では高松商(香川)を4-3で下した。ベスト8であった。

1974年春。1回戦はまたも岡山東商(1-0で勝利)、2回戦は日大三、根本の雪辱を晴らすかのように、7-2で大勝した。準々決勝は因縁の報徳学園、そして2-1で惜しくもベスト4進出を阻まれる。報徳学園はこの春優勝する。

ベスト8、ベスト4、予選落ち、一回戦負け、ベスト8、ベスト8と続いた後に来たのが、1974年夏の優勝である。しかもそのパワーは圧倒的だった。

二回戦   PL学園(大阪) 5-1
三回戦   中京商(岐阜) 5-0
準々決勝 平安(京都)   7-0
準決勝   前橋工(群馬) 6-0
決勝    防府商(山口) 7-0

土屋正勝投手の剛腕と、篠塚利夫選手のしなやかなバッティングが今でも目に浮かぶ。

小学校から中学にかけて、壮大な物語を、どん底からでも這いあがれるんだということを、身近なところで見せてくれた当時の人たちに、心から感謝する。あの感動は宝物だ。

昨日負けてしまった銚子商業は、習志野とともに15日からの関東大会に出場する。ベストを尽くされんことを望む。

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