語られたこと、られなかったこと

  • Day:2010.01.17 19:28
  • Cat:映画
ほぼ月に一度、内外のドキュメンタリーを同好の士と鑑賞してああだこうだ言う会を設けている。作品は何でもいいのだけれど、基本的には傷つきやすい人々の側に立っているものがいいなと思う。

今年第一回目の作品は『マス・エンダン』(井上実由紀監督)だった。年明けしてからという突然のお願いにもかかわらず、井上さんは快く貸してくださった(この場をお借りして深く感謝)。

この映画は漁業研修生として日本に滞在していたインドネシアの青年エンダンさんが、宮崎の海岸で溺れそうになった女子中学生を救おうとして海に飛び込み亡くなってしまったという事故と、監督とインタビュアーの二人がエンダンさんの家族や恋人、エンダンさんのホストファミリー、救助に当たった海上保安庁のレスキュー隊員たちなどにインタビューして歩くドキュメンタリーである。

全編を貫くのは製作者側のエンダンさんに対する想いと鎮魂だ。なぜあなたにあのような勇気があったのか、彼のことを一人でも多くの人たちに知ってほしい、という「熱」がスクリーンに横溢している。溺れそうな人を助けようとしたエンダンさんの気持ちと、それまで面識のなかった人間の死に対してここまで熱くなれた監督のパッション、そして付け加えれば職業として人命救助をしている人たちのエンダンさんへのシンパシーが、見終えた体にほてりとして残る、そんな映画だ。

さらにこの映画のユニークな点は、「知りたがり」を満足させないことだ。
いくつかの知りたい事が沸き寄せるのをとどめる事ができなかった。エンダンさんは日本でどんな生活をしていたのか、一緒に助けに入った漁業研修生仲間はどうしているのか、助けられた中学生は元気になったのだろうか、一度も引き落とされていないという彼の通帳にはいくらあったのか…。多くの疑問が宙に浮いたまま、エンドタイトルが流れる。

ひとつの事故に接した時、私たちはあまりにも多くのことを知りたがる。それは何もワイドショーの責任ではなく、私たちが持っているゴシップ好き、詮索好きな性質故であろう。通常のメディアはその欲求を満たすように取材し、報道する。しかし井上監督はそれをしなかった。取材が叶わなかったこともあるだろう。しかし当事者の画や言葉がなくても、知ったことをナレーションとイメージ映像で伝える事はできる。でもそれをしなかった。

想うにそれは「溺れかけた人を助けようとして亡くなったインドネシア青年がいたことを知ってほしい」というテーマにとっては、少し邪魔なものだったのではないだろうか。それらの周辺情報が流された時、観客は自らの好奇心を満足させることはできるだろうが、映画を見る前に抱いていた、そのシンプルな事実への衝撃に少々の薄まりを感じずにはいられないのではないだろうか。映画を見る前と見た後で、エンダンさんの行動、事故について増えた知識は、衝撃的なレスキューシーンだけであった。

語らないこと、下手な満足をさせないことも大切なのだということを教えてくれるドキュメンタリー。走る少年のカットが美しい。

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