システムとファクトリー、やみくろ

  • Day:2009.09.09 20:20
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1985年8月25日6刷というのだから、就職して2年目の金がないときに1800円で購入している。若い時は本の価値をよく知っていたのだ。世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドを再読した。卵と壁について書いてから、読み直したいとは思っていた。

「私」の住むハードボイルド・ワンダーランドと、「僕」の住む世界の終りで交互に物語が進む。「私」はシステムに属する計算士だが、ひょんなことからシステムと対立するファクトリーに狙われ、システムにも居場所がなくなる。「僕」は壁に囲まれた心のない人たちが住む「世界の終り」にどこからともなくやってきて、まだ「影=心」をひきずったまま、図書館で一角獣の頭骨に潜む夢を読む仕事を与えられる。「私」には心を失う時限装置が課され、「僕」は影=心と別れて、心を失った図書館の彼女と生きる道を選ぶ。

世界はメタファーに満ちている。

システムは体制、ファクトリーは反体制、やみくろは闇社会のメタファーだ。どっちに転んでもいいことはない。心は失われる運命にある。唯一の希望は世界の終りで「僕」が選択する道、手風琴の和音で音楽=ダニー・ボーイ=心を思い起こし、彼女が母親から引き継ぐ「心」の可能性に賭ける。

※  ※  ※

どっちに転んでもいいことはない状況で、どう生きていけばいいのか?おそらくは村上春樹がここ数十年考えてきたことはこの一言に尽きる。生きにくい世の中で、「心」を失わずに生きていくにはどうしたらいいか。この小説ではそれが、自分の心の完璧さを求めることではなく、図書館の彼女の失われたはずの心に再生の萌芽を見出すことであり、『海辺のカフカ』では佐伯さんの忠告に従うことだった。そこに希望という名の隘路がある。とても選択しにくい道だけど、それを意識して選んでいこうというのが彼のメッセージだ。

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世界はメタファーに満ちている、

オシロイバナもカエルくんも。

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