存在の耐えられない軽さ

  • Day:2009.07.14 11:59
  • Cat:
「予告された殺人の記録」もそうだが、タイトルそのものが傑作と思わせる。
傑作を予感させるものの、取っつき難いのも事実。その存在を知ってから20年は経つだろうか、ようやく読んだ。

ところでこのタイトルの意味が分かるようでわからない。
三つの解釈ができる。

1.存在そのものが軽すぎて(何か・誰かが)耐えられない。
2.存在そのものが軽すぎて存在が耐えられない(耐えられないとどうなるのかはわからない)。
3.何かが軽すぎて存在できない

分かりやすくするために、「存在」を「亀」、「軽さ」を「重さ」と言い換えてみよう。

「亀の耐えられない重さ」 となる。

この意味は次の三通り。

a.亀が重すぎて、(たとえば亀が象の上に乗っていたら、その象が)耐えられない。
b.亀が重すぎて、自分自身で耐えることが(たとえば立っていることが)できない。
c.(たとえば亀の上に象が4頭乗っていて、その象が)重くて、亀は耐えられない。

果たしてどれか?

原著はフランス語だがわからないので、英語のタイトルにヒントを求める。「The Unbearable Lightness of Being」だそうだ。

つまり、重いのは「being=存在」ということであることがわかる。
よって、上記3とCは該当しないということになる。


しかし依然として、1・aなのか2・bなのか判断がつかない。

この違いは何にとって耐えられないのか、ということである。亀本人なのか象なのか。これらすべてをひっくるめて、「全てのもの」にとって耐えられないのだということにここではしておこう。


チェコスロバキア(本書ではボヘミアと呼ばれる)からフランスに亡命したミラン・クンデラのこの小説は、プラハの春の弾圧(1968年)後のチェコスロバキアを舞台に、トマーシュ、テレザ、サビナ、フランツという4人の性愛と思想が語られる小説である。

トマーシュはテレザを愛しながらも多くの女性を知ることで世界を捉えたいと思う医師。テレザはトマーシュだけを愛し、結果的に彼を医師の座から没落させる。サビナはトマーシュの愛人の一人で「キッチュ」を嫌う画家だ。フランツはスイスの大学教授で妻子がありながらサヴィナと逢瀬を重ねる。

印象的な場面を抜き出そう。

※  ※  ※

作者はときどき語り手として登場する。

たとえば冒頭に、ニーチェの「永遠の回帰」という思想を持ち出す。その世界では、「いつかすべてが、、かつてひとが生きたのと同じように繰りかえされ、その繰りかえし自体もさらにかぎりなく繰りかえされる」。そして「永遠の回帰の世界では、どんな身振りもそれぞれ、とても耐えられない責任の重みを担うこととなる」

しかし実際には出来事は繰り返されることはないのだから、例えばフランス革命の「血腥い年月もただの言葉、理論、議論でしかなく、綿毛よりも軽くなって、恐怖をもたらすことはない。たった一度しか歴史に登場しなかったロベスピエールと、永遠に立ち戻ってきてフランス人たちの首をちょん切ってしまうロベスピエールとのあいだには、途方もない違いがあるのだ」という。

パルメニデスは、宇宙を光と闇、淡と濃、暖と冷、存在と非在、軽さと重さといった対立物の組み合わせに分割した。そして前者を積極的なものとし、後者を消極的なものとした。ニーチェは積極的なのは重さなのか軽さなのかということを問題にした。

作者は「重-軽の対立が、あらゆる対立のなかでもっとも不思議で、曖昧な対立だ」という。

※  ※  ※

ソ連軍がプラハに侵攻し、チェコスロバキアのドゥプチェク大統領がモスクワで妥協書に署名させられ、帰国後「口ごもり、肩で息をしながら、文言のあいだに果てしなく、ほぼ三十秒もつづくような間をおいて」ラジオ演説を読みあげた。

テレザは感じた。「この国がこれから永久に、ドゥプチェクのように口ごもり、しどろもどろになり、肩で息をする」と。

※  ※  ※

スイスに亡命したサビナの絵の展覧会がドイツで開かれたとき、「彼女は自由のために、その絵画によって戦っている」と評された。

彼女は抗議し、「わたしの敵は共産主義じゃないの、敵はキッチュなのよ!」と言った。

「キッチュの源泉、それは存在との無条件の一致である。」「カトリック的、プロテスタント的、ユダヤ的、共産主義的、ファシスト的、民主的、フェミニスト的、ヨーロッパ的、アメリカ的、国民的、国際的キッチュなどと、ありとあらゆるキッチュがある。」

「ボヘミアを離れて一、二年したロシア侵攻の周年日に、彼女はたまたまパリにいた。その日、抗議デモがあったので、彼女も参加せざるを得なかった。若いフランス人たちが拳を振りあげ、ソビエト帝国に反対する合言葉をわめいていた。その合言葉は気に入ったが、しかし彼女は自分が他人たちと一緒になって叫ぶことができないのを知って驚いた。彼女はほんの数分しか行列にとどまることができなかった。
 彼女はその経験をフランスの友人たちに話した。彼らはびっくりして、「じゃあ、きみは自分の国の占領に反対して闘いたくはないのかい?」彼女は友人たちに言いたかった、共産主義、ファシズム、あらゆる占領や侵攻にはもっと根本的で普遍的な悪が隠されている。その悪のイメージ、それこそまさしく腕を振りあげ、声をそろえて同じ音節を叫びながら行進する行列のイメージなのだと。」

※  ※  ※

「人生のドラマはつねに重さのメタファーで言い表される。ひとは、私たちの肩に重荷がのしかかってきたなどと言い、その重荷を運び、それに耐えたり耐えられなかったりする。それと闘い、勝ったり負けたりする。しかし、いったいサビナにはなにが起こったというのだろうか?なにも起こってはいない。彼女が別れたかったからひとりの男と別れた。そのあと、男は追ってきたのか?復讐しようとしたのか?そうではない。彼女のドラマは重さではなく、軽さのドラマだった。彼女に襲いかかったのは重荷ではなく、存在の耐えられない軽さだったのだ。」

存在の耐えられない軽さ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-3)存在の耐えられない軽さ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-3)
(2008/02/09)
ミラン・クンデラ

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