空罐 - 林京子

  • Day:2009.04.13 06:13
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文学少年さんに教えてもらった「空罐」(林京子)は、間もなく廃校となる校舎を30年ぶりに訪れた5人の同窓生の記憶の物語である。

場所は長崎、5人はここで高校時代を過ごし、そのうち4人は被爆した(1人は投下後に転校してきた)。がらんとした講堂の入口に立った時、4人は追悼式を思い出し、1人は弁論大会を思い出す。さまざまに記憶が蘇る。
自分の教室の場所をめぐって「私」は考える。

同じクラスになったことのないはずの「私」と西田は、校舎の角とその片隣りの教室にだけあった扉のノブに見覚えがあった。つまり、二人の教室は隣合っていたのだろうと結論付ける。問題はどっちがどっちの教室だったかである。

大木がその角の教室の壁の後寄りには穴が空いていたという。「私」も座席から振り返ってその穴越しに隣の教室の友達に目くばせしていたことを思い出す。「私」は、前の座席に座っていたはずなので、角の教室が「私」のクラスだと思う。

こういう描写に出会うと見取り図を画いてしまう。正しいかどうか自信はない。
nkoujo

30年という時間は久しく呼び起こしていない長期記憶を蓄積させた。5人の会話はその途切れた記憶相互の糸を修復し始める。

さらに大木は角の教室にはきぬ子がいたと言う。「私」は今のきぬ子を知っている。西田は弁論大会に出たきぬ子の姿をかすかに覚えている。が、同じクラスになった記憶は二人ともない。

その次に大木が発する一言に、「私」はきぬ子が同じクラスだったことを思い出す。空罐事件はきぬ子だったんだと。明日体内のガラスを取り出すために入院するきぬ子の30年前の姿を思い出す。

同窓会をきっかけにきぬ子とつき合うようになり、一緒に恩師の墓参りをしたほどなのに、「私」はその事件ときぬ子を結びつけて思い出すことがなかった。「誰だったか、と言うことよりも、事件そのものの方が、印象に深くあった。」からである。あの頃の彼女たちには忘れてしまいたいことがどれだけ多くあっただろうか、そしてそのいくつを忘れることができただろうか。高校時代のきぬ子の、その切ない事実は彼女の抜けた頭髪とともに記憶の底に30年間沈んでいた。

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