卵と壁

もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。

村上春樹氏のエルサレム文学賞受賞スピーチの一節。卵は人、壁はシステムのメタファーである。システムは人によって作られるが、時に人を壊す存在となる。そのとき彼は必ず人の側に立つというメッセージである。実に明快。村上作品には曖昧なるが故の心地よさを感じていたが、私の読み方は間違っていたのかもしれない。

エルサレム文学賞とは「社会における個人の自由」のために貢献した外国人作家に贈られる賞のようである。文学賞にこのようなバイアスがかかっているのは珍しい。文学はあくまでも「文」の「学」であり、言葉や形の新鮮さと内容の正鵠さに価値があるものと思っていた(今も思っている)。

それは置いておくとして、
例えば『海辺のカフカ』の少年カフカが、大島さんに匿われた隠れ家「キャビン」でアイヒマンについての本を読む件(くだり)がある。カール・アドルフ・アイヒマンはナチ政権の中佐で、官僚的有能さでユダヤ人を「効率的に」収容所へ輸送した。言わばシステマティックに優秀な人間だったわけである。ここにおいて卵はユダヤ人、壁はアイヒマンに象徴されるナチスのエスニッククレンジングシステムであることは間違いない。もちろんカフカ少年はアイヒマンのしたことに否定的だ。

多くのイスラエル人が『海辺のカフカ』のこの件を読むとき、村上春樹を我が同胞と思い、シンパシーを感じるのではないだろうか。ホロコーストの立役者がアイヒマンなのだから。

しかし授賞式では、村上の舌鋒はすべてのシステムに向かって発せられた。壊れやすきものをことさらに壊そうとするシステムの側に立つ者を糾弾する。壁は言うまでもなく、イスラエルがパレスチナ人を封じ込めるために建設している壁であり、彼らのもつ堅固な軍事力でもある。もはやイスラエル人はアイヒマンの側なのだ。

そのイスラエル人の中で、村上はこのスピーチを行い、かつ喝采を浴びた。イスラエル人の中にも「壁」ではなく「卵」の側に立とうする者がいる証である。システムの恐ろしさを知る者が中東にも数多く存在することを村上春樹のスピーチは明らかにしてくれた。
英語も記しておく。

"Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg."

breakが自動詞として使われていて、「壁が卵を壊す」というよりは「卵が壁にぶつかって自ら壊れる」というニュアンスを出しているところがなんか意味深だ。システムに追い詰められた人が、システムにぶつかって壊れていくんだなあ。

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