風景のよいといわれるところに住む人はどこでも貧しかった。

  • Day:2005.10.03 20:39
  • Cat:計画
 「宮本常一著作集(43) 自然と日本人」にある一節だそうです。赤坂憲雄氏の文章から孫引きさせてもらいました。胸を突かれる言葉ですね。山や海へ出かけていい気持ちになって、このまま手付かずの自然が残されて欲しいなあと思うとき、この言葉を思い出してハッとさせられそうです。

 少し長い孫引きをさせてください。

(1)風景というのは、明らかに作るものなのです。本当の自然というものは、少ないのです。われわれは自然だ自然だと言っておるけれど、決してもとからの自然というものはないのです。人間の作り出したものなのです。その人間がどいういう思想を持つかでその地域の風景が決まってくるのです。

(2)よその者だけが来て楽しむと、そういう風景であってはならないと思う。実はその風景自体を皆さん方自身が楽しむ風景にしていただきたいのです。自分たちのものであるのです。自分たちのものであって他の人たちも仲間に入れてやろうかというようなところで初めて風景の自主性というものが生まれてくるのではなかろうかと考えます。それがより良い風景を創り出すことになるのではないかと、考えるのです。

(3)人間が喜ぶ自然、風景、それはそこに住む人たちがそれを造り出す以外にはない、言い換えると、そこに住んでいる人たちの心にかなったものを造ることによっておおぜいの人の心にもかなうものが生まれてくるものである。それを作った人たちの生活を豊かにすることが大事になるのではなかろうか、こう考えます。


 一言一言に首肯してしまいます。美山町北集落の人たちがどんな経緯で茅葺き屋根を増やしていったかは承知していませんが、確かにあの風景には「自主性」が感じられました。観光客はあくまでも「仲間に入れてもらう」存在なのでした。

 赤坂氏の文章「風景を作る思想を求めて」は↓この本に載っています。


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