鬼の目に泪

キナダヤマという名前からして何かしら由来がありそうと思って調べたら、初めて日本書紀を手に取ることに。

まずは地名辞典で調べる。
「桜井村の北東、鹿野山の西に位置する。・・・日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征に鬼のような賊が涙を流したという所以がある。」

日本武尊は西は九州熊襲、東は陸奥を平定したと伝えられる。西征と東征である。上総地方に訪れるのは東征の途中であるが、古事記にも日本書紀にも「鬼のような賊が涙を流した」というエピソードは見つからなかった。

代わりに面白いことがあった。古事記と日本書紀では東征のルートが異なるのだ。

古事記:
伊勢を出発して相模から上総に渡り、「そこからさらに奥へお進みになって、ことごとく荒れ狂う蝦夷(えみし)どもを平定し、また山や川の荒れすさぶ神々を平定して、都に上っておいでになる・・・」(古事記 (中) 全訳注 講談社学術文庫 208より)
その後足柄坂より甲斐を経て帰っている。

日本書紀:
上総に渡るまでは同じ。「上総から転じて陸奥国(みちのくのくに)に入られた。その時は、大きな鏡を御舟に掛けて、海路より葦浦(あしのうら:房総半島を東に廻った海岸)に回り、玉浦(たまのうら)を横目に過ぎて、蝦夷の住む境に到着された」(日本書紀 上 (日本の古典をよむ)より)
日本武尊は蝦夷を残らず平定して、常陸、甲斐国、信濃を経て帰る。

古事記では上総に渡ってからどの程度奥に進んだかは分からないが、日本書紀ではずいぶんと細かく書かれている。房総半島を東に廻った海岸とは、やけに身近な世界だ。玉浦は九十九里浜だといわれている。

鬼泪山の由来は、記紀には残っていない話があることを教えてくれる。

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