美山町北へ行きました。

  • Day:2005.10.02 22:13
  • Cat:計画
 京都府の美山町は、その名のとおり美しい山に囲まれたところですが、その中の北という集落は茅葺き屋根の家屋が沢山あるので有名です。出張のついでに行って来ました。少し大きな画像を載せます。

zenkei


 観光客が結構いました。バスで乗りつけるグループも。観光が景観をキープする一つの例ですね。観光客は家々を路地を歩き回りますから生活している人にとって静けさはある程度失われてしまいます。でも注目されたり粟とか特産品が売れて現金収入が得られたりというメリットはもちろんあります。
 茅の葺き替えはとても大変で、それがこの種の屋根が減少した理由なのでしょうが、ここではその大変さを敢えて選択したのです。聞いたところでは一時期はトタン屋根が増えたのですが、また茅葺きに戻した家も多いとのことです。

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Comment

いやあ、どれもほんとうに美しい写真ですね。宮本常一のいうように、風景とは自然ではなく、人が作り出すものなんですね。そう考えると原風景というのはその人の心象風景なんだと思います。それを「日本人の原風景」などと言ってしまうと、ちょっと偏ってしまうような気がします。景観論がブームになるのは多くは戦時下で国威高揚のためだったともいわれていますが・・・。

「風景のよいといわれるところに住む人は・・・」という一節で、逆に「貧しいって何だろう」と思ってしまいました。私たちは豊かで便利な生活を送っているけれど、かつてのようにものを大切にすることが無くなってきました。また電気が止まるといろんなものが止まってしまいます。

一方貧しいといわれ、電気も来ないようなところで生活する人々は、ターシャではないけれど工夫して生活する術を知っていて、電気など必要としません。貧しくとも豊かな暮らしをしているといえるかもしれません。ただし極貧の生活をする人の住むところは風景がよいとはとてもいえないところが多いと思います。

ふろたつさんの写真と文章、温かくて優しいですね。私の友達もロムだけしています。そのうち書き込みもしてくれるかな?里山が大好きなので。
  • 2005/10/06 21:01
  • 紫陽花
  • URL
宮本は開発の人かもしれません
紫陽花さん、毎度どうも。(文章をお褒めに与り汗顔の至りです)

宮本はこうも言っています。

「自然は寂しい
 しかし人の手が加わると暖かくなる
 そんな暖かなものを求めて歩いてみよう」

「風景のよいといわれるところ」が、人の手の加わっていない自然なのか、加わった自然を指しているのか、ちょっと判然としません。
前者だとすれば、そこは寂しく、たとえ住む人がいたとしても得られる自然の恵みは十分ではなく貧しいということなのでしょう。
後者だとすると、手を加えていてもそこから得られる恵みは僅少で、尚貧しいということなのでしょうか。

私は前者の意味で本文(手付かずの自然)を書きましたが、宮本が歩き回った時代は昭和5年ごろから高度成長期前までぐらいですから、その頃の農村では懸命に土地に働きかけても現金収入が少なく「貧しかった」ということで後者を意味しているのかもしれません。

本文で紹介した同じ本の中で田村善次郎という民俗学者がこう言っています。
「柳田国男は『農民はなぜ貧しいのか』ということを研究し、いわば貧しさの発見みたいなことをテーマにしていた」が「宮本常一という人は、『どうしたら貧しさから解放されるか』ということを大きな命題にして民俗学をやってきたのだろうと思う」

宮本は離島振興に熱心でした。生まれ故郷の周防大島に戻ったときも村の有力者に対して、海岸沿いに島一周道路を建設したらいい、というような助言をしています。
そう考えると宮本は、流行の言葉で言えば「貧困削減」を生涯のテーマにしていたのかもしれません。高度成長とともに宮本の居場所が狭まってきたようなことを田村は指摘しています。
  • 2005/10/07 21:50
  • ふろたつ
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