「被害者なき犯罪」

松本清張の短編「ある小官僚の抹殺」にこんな一節がある。

「汚職事件には直接の被害者がない。金品を贈った方も、もらった方も利益の享受者である。公式めく言い方をすれば、被害者は国家であり、国民大衆である。しかし、これは茫漠として個人的には被害感を与えない。
個人は被害感を実得しないかぎり、告訴はしないものだ。汚職事件は個人的には被害者が不在で、利益者のみで成立している。
利益者たちは、相互の安全を擁護するために秘密を保持している。相手の露見はおのれにつながっているから、これほど堅固な同盟はない。小心だが、官僚の欲望と、業者の老獪とが、秘密保持の方法を極限にまで高めている。」

小説ではこの前に汚職事件が発覚したときに「人は捜査当局の神のような触覚に驚く」とあり、引用部分に続けて「汚職事件の探知が、多くはある種の密告行為による」と書いている。PCI事件の端緒も興味深いのだが、これはまた別の機会にしよう。

*  *  *

今回のPCIからシー局長に対する贈賄事件でも直接の被害者はいない。被害者は日本国とベトナム国であり、両国の国民大衆である、といっても本当に「茫漠」としている。両国の国民大衆をもう少し詳しく見てみよう。

1.日本側
 a 非納税者
 b 納税者
 c ODA関係者
 d PCI関係者
 e PCIと競合する者(他のコンサルタント会社)
 f eの関係者(eの施工管理の下で仕事をする施工業者など)

2.ベトナム側
 o 非納税者
 p 納税者
 q 政府関係者
 r PMU関係者
 s PCI関係者(東西ハイウエイ案件の現地施工業者など)
 t PCIと競合する者の関係者
 (いずれも重複する部分がある)

まず、本件で利益を得た、または得ようとした者は誰か?それはd PCI関係者とr PMU関係者であろう。ひょっとしたらq 政府関係者も含まれるかもしれない。

では一番被害を受けた者はというと、受注する機会を失ったあるいはPCIに決まっていたのに無駄な提案書を作成したという意味で、e PCIと競合する者ではないかと考えられる。次いでf、c、b、pあたりではないだろうか。

さて、今日の読売新聞によると外務省はベトナム向け円借款の供与を全面的に停止していたようである。「ベトナム側が再発防止策をまとめ、収賄したとされる公務員を処罰するまで停止する。」とある(こういうベタ記事はネットには載らないのか検索ではヒットしなかった)。
「全面的に」というのであるから、新規案件だけではなくて、実施中のものも含んでいると推測される。だとしたらいたるところで工事が中断されていることとなる。そしてこれが事実だとすると不思議なことが生じてしまう。

この措置で最も被害を受ける者を考えてみよう。

sはこれによって新たに生じる被害はないと言っていいだろう。既にコンサルタント業務から撤退したことは昨日述べた。
すると考えられるのは、この措置によって巻き添えを食った形になるe、f、s、tあたりが被害を受けているということだ。eとfのうち東西ハイウエー案件で実際に競合した者は、贈賄事件の発生によって被害を被り、また今回の措置によってダメージを受ける。往復ビンタである。

p 納税者も被害を被る。将来円借款の返済をしなければならないことは決まっているのに、その資金で建設されるはずの社会インフラを利用する機会が遠のくことになるから。

q 政府関係者には円借款停止による国家開発計画への影響や、不名誉な措置がとられたことによる国のイメージ低下という被害はあるだろう。ただこれはベトナム国民全てが被るものである。

肝心のr PMU関係者の受けるダメージはどうだろう。彼らは円借款が止まってどの程度の被害を被るのであろうか。oとpを合わせた「国民大衆」の受ける被害以上であるとは今のところ考えられない。外務省の要求どおり「収賄したとされる公務員」(シー局長だけでなく)が処罰されて初めてrは被害を被る。

不当に利益を得た者が処罰されるという当たり前のことを実現させるのに、犯罪とは無関係な多くの人が不利益を被っている。
12月10日の共同によると、停止になっている円借款は新規だけのようです。

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