思文閣で宮武外骨展を見る

京都が時間の止まった町だというわけではない。駅ビルは華やかになり、北山通は拡張され25年前に住んでいたころの面影はない。住んでいた3件の下宿の2つまでが消えている(あとの一つはその後訪れていないが、たぶんあるだろう)。

それにも関らず、数年に一度京都に足を運ぶたびに、以前夢中になっていた何物かが記憶の引出しの奥のほう、衣魚のついた服の下から頭をもたげてくる。宮武外骨もそのひとつ。

外骨(がいこつ、晩年にとぼねと改名)は大政奉還の8か月前、香川県に生まれた。生涯に44タイトルの新聞雑誌を創刊し、政府や悪徳商人を批判しつづけたジャーナリストである。筆禍による入獄は4回、罰金や発禁処分多数という。こう書くといかにも外骨が権力に屈しない反骨の硬骨漢のようである。

が、外骨の魅力はストレートで単純な権力批判ではなく、そのユーモラスな風刺であった。不敬罪に問われ3年8か月投獄されるきっかけとなった「頓知研法発布」の画では、骸骨が研法を下賜する様が描かれ、「第一條、大頓知協会ハ讃岐平民ノ外骨之ヲ統括ス」と大日本帝国憲法の発布を揶揄している。

最も成功した『滑稽新聞』の表紙には、「天下獨特の肝癪を經(たていと)とし色氣を緯(よこいと)とす過激にして愛嬌あり」と記されている。悪政や腐敗に対する感情を、色気という表現の樽で熟成させてから世に出している。

もうひとつ面白いのが、「威武(いぶ)に屈せず富貴(ふうき)に淫(いん)せずユスリもやらずハッタリもせず」というコピー。当時のジャーナリズムの状況の一端が垣間見える。

※  ※  ※

私が宮武外骨を知ったのは、就職して新入職員研修を受けた時。そのユニークな研修のヒトこまで、講師の方が16人の新入社員に1000円札を一枚ずつ手渡した。これで本屋に行って、番組の企画を考えろというものであった。
本棚を眺めていた私の眼を引いたのが、吉野孝雄氏の『宮武外骨』 (1980年)。その後、各人が考えた企画を発表する機会があった。どんな観点で取り上げようとしたのかは覚えていないが、色気の樽で熟成させたものではなかったのは確かだ。

その後宮武外骨に関する本を何冊か読んだが、飽きっぽい私はいつの間にか忘れてしまった。もちろん番組として実現もしていない。

思文閣美術館HP

gaikotsu

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