格段の負担

前回の続きです。
最高裁はこの問題について、「編集の自由」を尊重して、取材対象者の期待権を基本的に法的保護の対象とならず、次の全てを満たす場合にのみ認められるとの判断を示した。
1.取材協力に格段の負担が生じる
2.取材者が必ず特定の内容で番組に取り上げると説明する
・・・・(以上読売新聞より)

不思議な感覚で未だに整理がついていません。
「編集の自由」が認められたのは、いいことだと思います。
例外として取材対象者の信頼を裏切り、(たぶん経済的時間的な)負担がある場合には損害賠償の対象となるという点もよい。

なのに、結論がしっくりこない。
筋は通っているのに納得できない。
作り方は正しいのに美味しくない料理みたいなもの?

たぶんその原因は、NHKが圧力に屈したのにそれを「編集の自由」という衣でつつんだからでしょうか。もうひとつは、1,2以下の全てを満たすという条件ゆえに、取材対象との約束を明らかに反古にしたことが損害賠償の対象として認められなかったからですかね(読売の記事には「当初の番組趣旨の説明は個人的な意見にとどまるから」と書かれていますが、判決理由もそうだとしたら、はしごをはずされたディレクターはNHKと裁判所から往復びんたをくらったようで気の毒です)。

詳細は知りませんが、ドキュメンタリージャパンのディレクターが、当初の趣旨どおりに番組を放映することができないと知ったとき(つまりNHK上層部の意見に屈したとき)に、取材対象者に説明していれば、あるいはDJが、「ではこの番組はなかったことにしましょう。素材は引き上げます。これまでにかかった実費だけはいただきますよ」とNHKに対応していれば、問題はこれほどこじれなかったのかもしれません。事実DJは制作から手を引いているのですが、そのへんの事実関係がよくわかりません。

番組の「完成度」と取材対象との関係はとても悩ましい問題です。
今回のような政治的な問題が絡まなくても、一応撮影しておいたんだけどいまいちなんでカットするということはよくあります。極端な話、街頭インタビューを十人にして、5人だけ使うなんてことは日常茶飯事ですよね。
街頭インタビューならそんなに負担もかかっていないし、インタビューされた人も「どうせカットされるかも」と思っているでしょうからいいんじゃないという考えもあるでしょうが、やはりそこには「裏切り」があるのも事実ですし、ディレクターは申し訳ないと思いながらカットしているのです。
そして、それが嫌だから撮影対象を絞り込む努力をします。

今回の判決で、「この人には【格段の負担】をかけていないからカットしてもいいよ、という風潮が蔓延しなければいいのですが。

Comment

Comment Form
公開設定

Trackback


→ この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。