【復刻版】アチェへ行くもう一つの理由

(この記事は、サーバートラブルにより消失した2006年10月頃に書いたものの再現です)

志木の中学生10名ほどが、職場に来てくれました。
インド洋大津波の被害に対して、日本がどんな支援をしているのか知りたいというのがご訪問の目的です。
津波は2004年の12月26日に多くの人の命を奪いました。
一月後の1月下旬、私は支援事業を立案するための調査メンバーとしてバンダアチェ市及び大アチェ県を訪問します。およそ10日間の日程でした。そのときに見たこと、聞いたこと、感じたことを写真を見てもらいながらお話しました。

中学生諸君は、新宿の無味乾燥な会議室の居心地が悪いのか、緊張の面持ちです。本論の前にアイスブレイクのつもりで、趣味は何?などと聞いたのですが、「ゲーム・・・」とか細い声が返ってくるだけです。この訪問は、彼らが望んだものでないのかなあなんて思いながら、お話しました。

しばらくして、全員の感想文が送られてきました。たぶん先生がご指導されたのでしょう、書き出しと結びの文言は判で押したように同じ言葉が並び、自分の感じたことは中段に書かれています。正直、いつも読んでいる役所の文章みたいだなあなんて苦笑してしまいました。
でも、一人の感想文に私はびっくりすることになります。そして、とても嬉しい気持ちになりました。

kansoubun


お話の後、(これもあらかじめ考えてきたんだろうなあと思われましたが)いくつかの質問に続いて、「自分たちに何ができますか?」という問いがあったんです。
私は、「ドラえもん募金に協力するとか、あるだろうけど・・・」と言いながら、思い付きを話します。
「憶えておいてあげること、うん、たまにでいいからアチェに住む人たちのことを考えてみて、津波のあと、どうなったかなとか。そして、いつかアチェの人に会うことがあったら、津波のときは大変でしたね、今はどうされていますか?と話してみることが、できることの一つかな」

話しているときには、こんな風に感じてくれたんだということが彼らの表情からは読み取れませんでした。でも、表に表れないからといって、何も届いてないわけではないんです。
戒めるべきは、自分の早合点なのでした。

劇団「虹」からアチェ行きのお誘いを受けたとき、このことを思い出しました。

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