原発報道検証番組の決定版

以前松本サリン事件をメディアがどう伝えたかを、松本美須々ヶ丘高校放送部がテレビ報道記者へのインタビューを通じて明らかにしたドキュメンタリー映画『テレビは何を伝えたか -松本サリン事件のテレビ報道から-』をご紹介した

原発事故報道でもマス・メディアの姿勢が批判されているが、どの局が何をどのように伝えたか、伝えなかったかを、実際の放送VTRを使って批判的に検証したのが、『徹底検証!テレビは原発事故をどう伝えたか?』である。

全体が5つのパートに分かれている。
Part1 緊急事態をどう伝えたか?
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1343
Part2 避難指示をどう伝えたか?
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1344
Part3 1号機爆発をどう伝えたか?
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1345
Part4 被曝リスクをどう伝えたか?(前編)
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1347
Part4 被曝リスクをどう伝えたか?(後編)
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1346

有名になった「爆破弁(水素爆発のことをこう強弁)」「ただちに健康に影響はない」という発言はもちろん、「スリーマイルよりは軽微」だとか、貴重な発言が収録されている。

番組独自の視点としては、パート1で各局が原発に触れた時刻を比較した点が興味深い。四角い建物(原子炉建屋)を津波が襲う映像を流しながら、当初は原発には一切触れない白々しさを指摘している。また、水素爆発を意図的な爆破弁であると解説しはじめた時間が各局同時であることや、NHKの山崎解説委員の言い回しが微妙に変化してきたことなど、当時は気付かなかったことを教えてくれる。

特筆すべきは各局の放送した映像を使っていることだろう。もちろん許可は得ていない。著作権を侵害しているとして訴訟を起こされるリスクもあることを、司会の白石草さんも言っている。
だけどあえて番組内に収めた。実際に放送された映像を見ながら出なければ、この手の検証番組はわけのわからないものになってしまうからだ。そして、リスクを冒してもやる価値があるとOurPlanet-TVは判断した。喝采ものだと思う。

一定程度の著作物の引用は活字の世界では当たり前である。だがなぜか映像作品ではどこまでが許されるのか、そもそも許されるのかが明確ではない。ほんの10秒引用させてもらうだけでも、著作権者に許可をとり、場合によっては高額の使用料を支払うのが現状である。JASRACのような著作権処理機関もないので、非常に手間がかかる。

昔はテレビや映画といった映像作品を手元に置いておくことが一般の人はできなかった。だが今は違う。地上波もBSも映画(DVD化されていれば)も、簡単にパソコンに取り込んで必要な部分を抜き出すことができる。状況が変わったのだから、映像作品の引用についての考え方を詰める必要があるだろう。

私は基本的には活字の引用と同様に考えていいと思う。著作権法にはこうある。活字も映像も区別していない。

第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
2 国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人又は地方独立行政法人が一般に周知させることを目的として作成し、その著作の名義の下に公表する広報資料、調査統計資料、報告書その他これらに類する著作物は、説明の材料として新聞紙、雑誌その他の刊行物に転載することができる。ただし、これを禁止する旨の表示がある場合は、この限りでない。

もうひとつ、例の「笑っている人には放射能は来ない」「プルトニウムは飲んでも(大丈夫)」発言を引用した傑作がある。

『スイシンジャー 異形編』

小出裕章助教とスイシンジャーのやりとりは爆笑ものだ。


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復興計画

  • Day:2012.04.16 13:49
  • Cat:
大津波から1年1カ月がたち、甚大な被害を受けた海岸地区の復興計画を市が策定した。

その説明会が保健福祉センターで行われたので、昨日、行ってみた。

三つ大きな論点があった。

1.海抜6メートルの減災林で十分か
2.一時避難タワーは却ってミスリードするのではないか
3.いいおか荘をどうするか

一番気になる津波対策については、海抜6メートルの盛土に松・トベラ・マサキを植える減災林を整備するというもの。この高さが問題になった。

3.11の津波は7.6メートルと言われている。6メートルでは防げないではないか、という疑問が当然挙がった。

市長の説明はこうだ。
・この事業は県の事業であり、県の説明によれば6メートルを超えて流れ込む津波は(元禄津波と同規模と想定して)、床下浸水程度のものであること。
・これ以上高くすると予算がかさむ。

高くすれば景観が損なわれ、観光に打撃を与える、という意見も会場から出た。

そして、川沿いに住む方からはこんな意見が出た。「転居も考えたが、掃除して住み続けることにした。20メートル、30メートルの堤防を作れば津波は防げるかもしれないが、そんなお金があるなら仮設住宅暮らしの方に使ってほしい。自分はまた津波で被災しても市に対して文句は言わない」

拍手が湧いた。少し奇異な感じがした。

* * *

このやりとりを聞いて、自然災害を防ぐためには、人間はあらゆる努力をしなければならないのだろうかと今更ながら思う。

地震津波に限らず、台風大雨洪水噴火落雷竜巻土砂崩れなどなどで毎年のように犠牲者が出る。それは当人や近親者はもとより、同じ人間として痛ましいことと思う。この犠牲をゼロにすることは、どんなに金をかけてもできない。

でも、その被害を減らすために、人は天気予報の精度を上げ、火山活動をモニタリングし、川岸をコンクリート固め、砂防ダムなる醜悪なものまで築いてきた。その結果、多くの救われた命があるだろうとも想像できる。

で、防潮堤の話に戻るのだが、どこまでの津波を防ぐことを目指すべきなのか?

市長からは、6メートルの減災林ならば、1000年に一度の津波は防げないかもしれないが、数百年に1度の規模には対応できる、というような趣旨の発言があった。景観もそれほどさえぎられることはないだろう。

それを妥当と言うには勇気がいる。1000年に一度の津波で予想される犠牲者を切り捨てるのか!との怒声が聞こえてきそうだ。

しかし、では、海が見えなくなるほどそびえたつ防潮堤に囲まれて生活するのかという疑問には勝てない。それでは飯岡に住んでいるとは言えないであろう。生活の質の問題である。毎朝眺める海の景色に、飯岡の人々はどれほど生の充実を感じてきただろう。

ただ、海のそばに住む幸福のためなら津波で死んでも構わない、というのではもちろんない。行政に文句を言わないというのもちょっと違う気がする。たとえば、行政が正確・適切な情報を出さず、誤った情報を流した結果の被害であれば、当然行政の責任問題は発生する。

自分が自分の責任で居住場所を選択するというのは結構だ。潔い。しかし現実にはそこにしか住めないので住んでいるという人もいる。その人たちが要望しにくいような雰囲気になってしまったとしたら、残念である。


今年もチューリップが咲きました。tulip2012
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