06/17のツイートまとめ

  • Day:2011.06.18 00:00
  • Cat:魅力
omiya_n

@academy_takuya お疲れさまでした。HPも充実してきましたね。
06-17 17:45

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アメリカンニューシネマ2本の男の泣く場面

  • Day:2011.06.12 18:17
  • Cat:映画
それも生き方というか嗜好なのだろうか。
強い人よりも弱い人に惹かれてしまう性向がある。全く損な性分である。

映画で言えばそれは、松竹ヌーベルバーグであったりアートシアターギルドの作品を好むということか。アメリカ映画であればアメリカンニューシネマである。そこでは主人公はタフでも強くもない。非ジョン・ウエインなのだ。

『ファイブイージーピーセス』と『真夜中のカーボ-イ』のことが『マイ・バック・ページ』に出てくることは6月2日に書いた。週刊朝日の表紙を飾った保倉幸子がモデルである、週刊東都のカバーガールがその2作で泣く男どもに好意的な言葉を寄せるのだ。その2本を再見した。

『真夜中のカーボ-イ』のダスティン・ホフマンが「I'm scared」と言いながら泣くシーンは保倉幸恵のみならず、松山ケンイチ扮する活動家も口にする。前者は「きちんと泣ける男の人が好き」と言い、後者は「僕も(武力闘争に踏みだすとき)怖いんです」という文脈で引き合いに出す。高校生の時この映画を見ていた私は、てっきりダスティン・ホフマンがラストにマイアミ行のバス車中で死ぬときにこのセリフを言ったのだと思い込んでいた。

しかし、違った。元々足の悪かった彼が、いよいよ歩けなくなってしまう。「転んでばかりいる」。ニューヨークの空きアパートで不法に暮らす彼が、ジョン・ヴォイトに向かって言うセリフだった。「歩けなくなることが怖い」。

『ファイブイージーピーセス』はどこにも居場所を見つけられない男の話だ。ジャック・ニコルスンが演じている。『マイ・バック・ページ』の原作者川本三郎はこの映画にさほど感銘を受けた様子はなく、一緒に見た保倉に「あまり面白くなかったね」と言う。それに対する保倉の答えが「ジャック・ニコルスンが泣くところが良かった」というのだ。

ニコルスンは音楽一家の生まれだ。父親は(たぶん)高名なバイオリニスト、兄もピアニスト、自身も優秀なピアニストだった。彼はそんな境遇を窮屈に感じて、家を出る。油田か何かで肉体労働をして過ごす。ある日父親が病気だというのでワシントンの家に帰る。車いすの父親は口がきけなくなっていた。ニコルスンは車いすの父と、(たぶん)ポトマック川のほとりで二人だけで話す。父が話せないのを幸いに家を出たわけを話しながら泣く。父が話せたら口論になっただろうと。

かようにアメリカンニューシネマの男たちは泣いた。妻夫木演じる若き川本三郎氏も、己の選択の正しさと過ちを思い泣いた。

『開発援助か社会運動か』定松栄一著

  • Day:2011.06.11 14:27
  • Cat:
1994年から1999年までネパールに駐在し、「カマイヤ」と呼ばれる債務労働者の調査及び生活向上プロジェクトを実施した経緯を克明に記録した本。凡百の無味乾燥な海外協力プロジェクト報告書とは全く異なる、出色のレポートである。

その理由はまずは、
①カマイヤの実態に関する詳細な調査内容が分かりやすく書かれていること
②パートナーたる現地NGOおよび住民との誤解や軋轢、衝突が赤裸々に描かれていること
③所属しているシャプラニール(日本のNGO)での意思決定プロセスが興味深いこと

一言で言えば、都合の悪いこと=直面した問題や失敗が披露されているから。海外援助はきれいごとではすまないことを教えてくれる。読み物としても抜群に面白い。

と、ここまでなら実態を教えてくれた著者の勇気に感心しつつも、腹を括れば誰でも書けるものであるとも言える。それを上回るこの本の素晴らしさは、開発援助のその先の世界に思いを馳せ、自らの5年間の活動が成功か失敗か思い悩む著者の述懐に出会ったとき、感動とともに実感される。

「その先の世界」とは、タイトルの示すとおり、「社会運動」、つまり「政治」である。

少し長いが、要約する。

※ ※ ※

カマイヤーの調査の結果、定松氏は彼ら土地なし農民を3つのグループに分類した。

①分益小作人:収穫の50%が報酬となる。
②賃金労働者:技術次第で収入が向上する。
③カマイヤ :最低限の収入しかもらえない。

簡単に言うと上のほうが実入りはいい。そこで著者たちは下のグループが上のグループになれるようにプロジェクトを組んだ。その方法はて、地主から高利の借金をしなくてよいようにグループ貯金をする、副収入を増やすための職業訓練、分益小作契約に必要な雄牛の共同購入などだ。

ところがこの計画には無理があった。全員が分益小作人になることには無理があった。分益小作契約で貸そうとする地主は限りがあったし、住民たちも望んでいなかった。カマイヤは技術がなくてもなれ、最低限とは言え収入が保証されているのでリスクが少ないのも一因だ。

そして著者たちは軌道を修正し、収穫前に食糧が無くなると地主から高利の借金をしなければならないという事態を解決するために、無利子の資金を貸すことにした。これを借りた農民は、地主から借りたつもりで利息を払い、これを積み立ててゆくゆくは自己資金で回せるようにする…。

プロジェクトは順調に進んでいた。著者は5年間の活動を終えて帰国する。

※ ※ ※

一方でこういう事実があった。

以前ネパールで民主化運動が起きた時に、地主の下から逃れて土地獲得運動を起こしたカマイヤたちがいた。現在は政府から指定された土地に再定住しているという。彼らの運動は「カナラ運動」と呼ばれた。リーダーに会った著者たちは再定住地での調査を行うことにした。

その後、そのリーダーは「カナラ運動」への支援を求めてきた。そこで著者は「開発事業への支援はできても土地獲得運動への支援はできない」と言う。話し合いは物別れに終わる。

外国のNGOがネパールで活動する許可を政府から受けるには、政治活動にかかわらないことが条件とされている。

※ ※ ※

著者帰国後の2000年5月、19家族のカマイヤたちが村役場に請願書を出した。債務帳消し、最低賃金保証、再定住用の土地を要求をした。運動は瞬く間に広がり、7月には国会前での座り込みが始まる。同月、ネパール政府はカマイヤ制度を廃止するに至った。

その後ネパールを再訪した著者は、解放運動の陰にかつてのパートナーNGOにいた男がいたことを知る。彼はその後英国NGOアクション・エイドに移り、運動を支援していた。

著者はなぜアクション・エイドとシャプラニールが異なる態度を取ったのか、自問する。はたして自分たちのプロジェクトは成功だったのか、失敗だったのか。

※ ※ ※

山本太郎を思い起こす。

旭ジャーナル第一回配信

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地域情報を伝える自分たちのメディアを目指して、【旭ジャーナル】第一回の配信を6月7日(火)11時から行った。

場所は飯岡地区横根にある旭市社会福祉協議会の一角。私たち3人は10時に集合しセッティングをする。

インターネット配信をするには当然のことだがネットに接続しなければならない。これが一番頭の痛い問題である。東京23区内であればたぶんWimaxでうまくいくが、千葉県北東部は圏外なので、従来のネット環境を使うしかない。訪問先にネット環境があれば、そのルーターにつながせていただくことになる。だが通信速度次第ではうまくいかない可能性もある。この日はカメラとパソコン、対談場所のセッティング後、30mのLANケーブルをひきまわして、インターネットに接続した。

しかし、Ustream Producer(ユーストリームで配信するときのソフト、無料)で配信を開始しても「Live」の表示が出ない。慌ててスピードテストをしたところ、上りの通信速度は0.5Mbps。てっきりひかりだと思い込んでいたがADSLだった。これは画質を落とすしかないと、設定を変える。

それでも配信状態にならない。本番まで20分に迫っていた。せっかく快くご承諾いただいて、ご多忙のところ予定を調整していただいたのに、「つながりませんでした」では合わせる顔がない。焦る。

苦し紛れにログイン後のUstreamページ右上にある「ライブ配信」をクリックした。すると、奇跡のように「Live」の表示がモニター画面左上に出た。このまま、中断しないように接続状態を維持することにした。気がつくと汗でびっしょり。

※ ※ ※

お話は市社協の高野会長と、現場で奮闘された高埜さんに伺った。3月16日から31日までの間に、延べ7608名のボランティアを受け入れるなんて、もちろん彼らにとって初めての経験だ。私も2回手伝いに参加したが、その受け入れ体制がやけにスムーズなことに正直驚いた。1回めよりも2回目は、2000人近くのボランティアが参加した(実際には500名くらいにはニーズが集まらなかったので帰ってもらったそうなので約2500人)にも関わらず、登録、ニーズとのマッチングまでの待機、資材の分配、現場までの輸送がとても円滑に行われていた印象がある。

その大きな理由の一つには、立ち上げから受け入れ体制の整備、資機材の調達、人員輸送、ニーズの掘り起こしのあらゆる面で多くの人たちの協力の申し出があったそうだ。お二人は参加者はもちろん、運営に協力してくれた方々への感謝を口にした。

詳細は http://www.ustream.tv/channel/旭ジャーナル

30分の時間があっという間に過ぎた。終了後、高埜さんが被災者から送られた色紙を見せてくれた。飯岡に住む親御さんのもとへ、柏からかけつけた娘さんが後に送ってくれたものだそうだ。

shikishi.jpg


高埜さんは「番組中に見せたほうがよかったですかね」と笑う。私にはその一言が嬉しかった。

06/06のツイートまとめ

  • Day:2011.06.07 00:00
  • Cat:魅力
omiya_n

明日ustream配信します。http://www.ustream.tv/channel/旭ジャーナル千葉県旭市の震災ボランティアを受け入れた社会福祉協議会の方にお話を伺います。
06-06 17:45

男の泣き方-『マイ・バック・ページ』

  • Day:2011.06.02 18:24
  • Cat:映画
川本三郎氏の実体験を元にした映画。原作は読んでいないが、たぶん妻夫木が泣くラストシーンは、原作にはないのではないかと理由なく思う。2時間半のこの映画はこのラストに向かって決して変えることのできない、仕方のない時間として流れていく。その、いかにも映画的な構造を締めくくるこのシーンを、川本氏が用意していたのだとしたら舌を巻かざるを得ない。

こらえながら泣くってのは、首の筋で泣くことなのかと気づかされるこの白眉のラストシーン。川本氏を演じる妻夫木の首の左右にひくひくと筋が浮かぶ。私の隣に座っている、団塊と思しき男性も泣いている。右隣の若い女性が、ハンカチを握っている気配がする。

伏線はこうだ。

週刊東都の表紙のモデル(女性)と妻夫木は『ファイブ★イージー★ピーセス』を見る。アメリカンニューシネマと呼ばれる一群の作品の一つで、easyの意味は「くつろいだ」とか「平穏な」というようなものだろう。高校生の時に見たがよく覚えていない。

映画の後の喫茶店で、妻夫木は「つまらなかったね」と言う。ところがモデルは、とても良かったと言う。○○が泣くところがとても良かったと言う。妻夫木は「男らしくない」とかなんとか否定する。モデルは、「ちゃんと泣ける男の人が好き」と言う。もうひとつの例として、『真夜中のカーボーイ』で「怖い、怖い」と泣くダスティン・ホフマンが忘れられないと言う。("I'm scared"と言いながら泣くダスティン・ホフマンは自分に似ていると、この後松山ケンイチが妻夫木に話すことになる)

そして、いろ-----------んなことがあって、妻夫木が泣く。左の男性も泣く。右の女もさめざめとしている。私もちょっとジンとくる。

※ ※ ※

1969年、妻夫木は東大を出て就職浪人し東都新聞社に入社。東都ジャーナルを希望するが週刊東都に配属される。先輩の紹介である学生活動家(松山ケンイチ)と知り合う。松ケンは少数の仲間とセクト「赤邦軍」を結成し、「ホンモノ」になりたいと願う活動家だ。「ホンモノ」になるには何かデカイことをしなければならない。妻夫木の紹介で松ケンは京大の前園に会う。前園はその過激な行動で活動家たちの尊敬を集めていた。前園から「自分の手を汚してみろ」と言われる松ケンは、朝霧自衛隊駐屯地で武器を奪取するために、自衛官を殺害する。これを事前に知らされていた妻夫木は、スクープ記事として東都ジャーナルに載せようとするが…

※ ※ ※

妻夫木と松ケンの初競演ということで、観客席には若い女性が目立つ。と同時に題材が題材なだけに、70年ごろに学生時代を送った団塊の世代も目立つ。父親と娘ほどの年齢層が多い、不思議な空間だ。

前者はこのストーリーの根底に流れるものを知らない。前園が竹本信弘であり、78年ごろの京大の時計台には「竹本処分粉砕」と書かれていたことなんてつゆしらない。妻夫木が「取材源の秘匿」と言うのもピンとこないかもしれない。

後者はこのストーリーの背景を知りすぎている。69年から71年までの間に、自分がどこで何をしていたのかをこの映画を見ながら思い出している。「取材源の秘匿」が西山事件で司法に無視されたが、密約の存在が証明されたことなんかも思い出している。でも、どちらが妻夫木でどちらが松ケンか、見終わってからチラシと見比べてようやく知ることになる。モデルと松ケンの彼女役の女優の名前は覚えようともしない。

水と油ほども異なる両者を結び付けるのがラストシーンだ。それぞれがいろいろな理由で涙を流している。
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