チェルノブイリ事故の隠蔽

昔ソ連という国があった。「一苦一難(1917年)ロシア革命」と中学の社会科で年号を覚えたあの国だ。その革命は搾取も階級もない共産主義社会を目指していたはずなのに、いつしか自由にモノも言えない国になってしまった。そして革命から68年後の1985年ゴルバチョフ書記長が登場し、「ペレストロイカ(再構築)」を掲げる。

翌年の今日、つまり25年前、チェルノブイリ原子力発電所4号炉が爆発した。ゴルバチョフはこれをきっかけに、それまで政府に都合の悪いあらゆることが隠されていたソ連において、情報公開(グラスノスチ)を進めた、、、ということになっている。

印象的なことがある。

1988年9月のこと。フジテレビの企画で、パリとイスタンブールを結んでいた豪華列車、オリエント急行が日本にやってくることになった。フランスから西、東ドイツ、ポーランド、ソ連、中国、香港を経て日本はから山口県下松港に上陸する。私たちの会社は、西はソ連・ポーランド国境のブレストから東はザバイカルスクまで、シベリアを横断するオリエントエクスプレスの取材を担当することになった。2チームが編成され私は両チームを補佐するAD(アシスタントディレクター)として、冷えた鶏肉の機内食が忘れられないアエロフロート機でモスクワに入った。

撮影にはソ連の役人が同行した。今思えばKGBなのかもしれないが、小太りのほっぺたのてかてかしたおばさんだった。制服が似合った。全く表情を変えず、仕事以外の会話は一切しないという人だった。坂田さんという一方のチームのディレクターは、取材対象を探して、イルクーツクの街に住む若夫婦と幼い子供の家族に会うことにした。夫が鉄道に関係していたのではないかとあいまいな記憶をたどる。

鮮明に覚えているのは彼らのアパートで打ち合わせをした時にごちそうになったペリメニの美味である。その小さな水餃子の一つ一つは、それまでピロシキとアイスクリーム以外のロシアの食べ物に辟易していた私たちを感激させた。温かい手料理だった。室内は質素だったが親子3人の生活感に彩られ、ソ連に来て一番ホッとしたひと時だった。坂田ディレクターは迷わず彼らをビデオに収めることにした。

翌日、撮影のため再び彼らのアパートを訪れた私たちは眼を疑った。室内には豪華なソファとテレビがデンと構えていた。小太りで頬をてからせたおばさんは、前日の打ち合わせ終了後に猛烈に働いていたのだなと変なところで感心した。

これがゴルバチョフ書記長就任3年後のソ連の一コマである。その2年前のチェルノブイリ原発事故に話を戻そう。

※ ※ ※

今朝の読売新聞の社説には、チェルノブイリ原発事故は運転員のミスによる「史上最悪」の事故であると述べられている。これはたぶん、東電福島第一原発事故はチェルノブイリに比べれば軽度な事故であり、ソ連の運転員のようなミスは日本では起こらない、ということを事故が継続中にもかかわらず言いたいのだろうと推察する。(注1、注2)

しかし、NHKディレクターの七沢潔氏の原発事故を問う―チェルノブイリから、もんじゅへ (岩波新書)によれば、チェルノブイリ原発事故の原因は作業員のミスではなく、原発の設計上の問題であったという。

25年前の今朝未明、というより4月24日の深夜1時過ぎ、チェルノブイリではひとつの実験が行われた。その実験というのはこんな具合だ。

1.何かの原因で全電源が喪失したとする。通常ならば冷却材を循環させるポンプは止まり、炉心は高温になってしまう。
2.しかも、非常用ディーゼル発電が稼働するまで40秒間かかる。
3.一方、それまで発電していたタービンはまだ回っているのだから、この電気で冷却材を循環させるポンプを動かせないだろうか。

つまり、外部電源で動かしていたポンプを、停電時に自家発に切り替える間の40秒間を、これも自家発の一部だろうがタービンが外部に送っていた電気に瞬時に切り替えて間をもたせることができないか、という実験だったと理解する。面白いテーマだと思う(実験結果はどうだったんだろう?)。

そして前掲書では、事故が起こったのはこの実験が終わって、原子炉緊急停止スイッチが回された後だったというのである。

つまり、停止しようとしたら爆発したのである。実験中に爆発したのではない。

爆発の原因は原子炉の欠陥、制御棒の構造上の欠陥にもあったと、事故後2カ月で出された事故調査委員会報告書は結論づけた。七沢ディレクターは7年後にこの報告書を入手する。

ゴルバチョフは当初、グラスノスチの方針に則り、すべての事実を公開すべきだと主張した。原子炉を設計した中規模機械製作省次官の自己弁護に対して次のように言っている。

「あなたは驚くべきことを言いました。これまでの発言者は皆、この原子炉は未完成で、危険であると言っているんですよ。あなたは、自分の立場を守るための発言をしていますね。」(1986年7月3日)

しかしゴルバチョフは挫折する。国を挙げて作ってきた原発が構造上の欠陥を有していたという深刻な事態を糊塗するため、運転員のミスだったことにすることを選んだのである。

8月25日、レガソフ科学アカデミー会員は、IAEA主催の国際検討会議でこう述べた。

「運転員たちは早く実験を完了させることを焦るあまり、実験の準備、実行にあたって指示に従わず、実験計画書そのものを無視し、原子炉を取り扱う最新の注意を払わなかった」

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ゴルビーですらこうである。いわんや…をや。

ソ連はその後解体した。経済的には苦しくなった面もあるだろうし、ロシアを見る限り言論の自由もないが、少しはマシな事態になっているのではないだろうか。

日本はうんとマシにしよう。


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注1:私たちにできる一歩として、読売・産経を止めて毎日か朝日ほかにしよう!ついでに城南信用金庫に給与振込口座を開設するか定期預金をして、プロバイダーはヤフー、携帯電話はソフトバンクかウィルコムにしよう!
注2:どの国でも起こりうる「運転員のミス」にするよりもチェルノブイリ原発の構造上の問題だとしたほうが、「日本は大丈夫」という主張の論拠となると思われるのだが、読売は何を考えているのだろうか。
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津波と放射能のホットスポット?

不思議だなとずっと思っている。

津波被害と農産物の放射能被害が旭市に集中していることである。

津波は地形的な要因や、飯岡地区では海沿いに集落が広がっているという事情が被害を大きくしたのだろうと推測している。しかし、県内で農産物から基準値を超えた放射性物質が検出されたのは、ほとんどと言っていいほど旭市のものだ。このダブルパンチは大いなる謎である。まるで狙い撃ちである。

事実関係は次の通り。

3/12 福島第一原発1号機水素爆発

3/14 同3号機水素爆発

3/15 同2号機の圧力抑制室で爆発

3/20 東京都、築地市場経由で都内に流通した千葉県旭市産のシュンギクから、国が定めた暫定規制値
(1キロあたり2000ベクレル)の2.15倍にあたる4300ベクレルの放射性ヨウ素を検出

3/21 出荷元のJAちばみどり(旭市)が旭市産の青果物全品目の出荷を二十二日から停止。ダイコン、キャベツ、シュンギク、キュウリの主要四品目を含む約三十品目

3/21,22 東京で雨 銚子(旭市の隣)は曇。

3/24 銚子で雨

3/25 千葉県の調査でシュンギク、パセリ、サンチュ、セロリ、チンゲンサイの5品目が基準値を超える

3/26 旭市の独自調査で11品目の野菜から、食品衛生法の暫定基準値(1キログラム当たり2千ベクレル)を上回る最大8300ベクレルの放射性ヨウ素が検出。基準値を超えたのはシュンギク、パセリ、サンチュ、セロリ、チンゲンサイの5品目と重複。残り6品目は、ミツバ、ブロッコリー、サニーレタス、バジル、コマツナ、ナバナ。

4/4 国は千葉県香取市と多古町のホウレンソウ、同旭市のホウレンソウ、チンゲンサイ、シュンギク、サンチュ、セルリー、パセリから暫定基準値を超える放射性物質が検出されたことをうけて出荷制限を指示した。千葉県のそのほかの市町村産や品目については、暫定基準値を超える放射性物質は検出されていない。

※ ※ ※

事実関係を整理するまでは、原発から噴き出た放射能がちょうど旭市上空に差し掛かった時に雨が降って大地に降り注いだのかと思っていた。が、雨が降る前の3/20に放射能が検出されていた。気流に乗ってきて南下してきて、風が止んだのがちょうど旭だったのか。もう少し北西の風が吹いてくれれば太平洋に落ちたものを。

悔しいけど美味いからナバナを食う。ちなみにこれはその辺に生えていたもの。

nabana


キンメ

「風評」被害で安くなったと聞き、スーパーへ行ってみた。一軒目・二軒目は、このような高級魚は普段から扱っていないのか、どうせ仕入れても売れないと思ったのか、はたまた売り切れたのか見当たらず、7キロ離れた「ビッグハウス」でようやく入手。

kinme


全長40㎝、重量は1,050g。いつもなら3,000円はするところ、1,980円だった。今夜は焼酎をがすすみそうである。

※ ※ ※

放射性物質に無関心なわけではない。いまのところ茨城近海でとれたコウナゴのセシウムが基準値を上回った以外、ほかの魚では基準値以上の放射性物質が検出されていないから大丈夫だと思っているわけでもない。できるだけ放射性物質が含まれている可能性のある食品は食べまいと考えてきた。それは長生きしたいからではない。ただ、原発から出た放射能で寿命が縮むのは不快だったから。

それが一転キンメを探して3軒のスーパーを回る気になったのは、京大熊取原子炉実験所の小出裕章さんの講演会の記録「放射能を噛みしめながら」をyoutubeで見たせいである。

チェルノブイリ事故の後、日本人はヨーロッパ産の食品を避けた。でも彼はイタリアのスパゲッティを食べ続けた。美味しいからという理由と、もうひとつの理由は「私たちにはそれを拒否する権利がないのではないか」と考えたからだという。

原発を選択してきたのは私たちである。積極的に支持していたわけでなくとも、容認していたなら同じことであろう。そういう私たちに、放射性物質入りの食物を拒否する権利があるのだろうか。私たちが汚染された食物を拒み、経済力にものを言わせて安全な食物を日本中、世界中から集めだしたら、海外の、経済力のない国に住む人たちの食べるものが少なくなり、高騰するだろう。そして汚染された食物が彼らの食卓に上ることになるのではないか、という問いである。

拒否できるのは、今の日本のエネルギーのありように全く責任のない子供たちだけだと彼は続ける。

1988年、名古屋で行われた講演会。とても考えさせられる。

『なぜ警告を続けるのか〜京大原子炉実験所・”異端”の研究者たち〜』

毎日放送が2008年に制作した番組。49分50秒。



(グーグルビデオより)
大阪府熊取町にある京都大学原子炉実験所。ここに脱原発の立場から活動を続けている”異端”の研究者たちがいる。原子力はわが国の総発電電力量の3割を供給するまでになったが、反面、去年の中越沖地震で柏崎刈羽原発が「想定」を上回る激しい揺れで被災するなど、技術的な課題を完全には克服出来ていない。番組では、国策である原子力推進に異を唱え、原子力の抱えるリスクについて長年、警告を発し続けてきた彼らの姿を追う。その言葉はエネルギーの大量消費を享受する私たち国民一人ひとりへの問いかけでもある。
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