ジャーナリストと外交官

  • Day:2011.01.30 09:34
  • Cat:時事
なるほど、ジャーナリストというのはああいう人のことを言うのだなと、エジプトのデモのニュースを見ていて思い出したのは、去る1月7日に南部スーダンはジュバのSSRB(南部スーダン住民投票ビューロー)で名刺交換した朝日新聞社カイロ支局長の若々しい顔であった。

俄か仕立ての役所だから仕方のない面もあろうが、たかだか顔写真を貼ってハンコを押すだけの取材許可証の発給に3日もかかるような不手際に、各国から詰めかけた記者たちが醸し出す苛立ちで空気がひりひりしているSSRBの前庭で、彼は同僚のナイロビ支局長と、ムバラク政権の今後について話していた。

「もう30年ですからね、しかも息子に継がせようとしている」という彼の口吻は、エジプト国民が長期政権に対して持っている憤懣やるかたない気持ちに日々接していることを充分に感じさせた。そして事実、あれから3週間も経たないうちにチュニジアの政変をきっかけとした、反ムバラクデモが一面を飾るようになった。

ジャーナリストには瞬発力とその前の「溜め」が欠かせない。先を読む目とその時が来る前に仕込んでおくネタや人脈のことだ。双方とも持ち合わせていない私としては、ジャーナリストビザを取ってスーダンまで来たものの、どこか居心地の悪い思いをすることしきりである。引き換え、カイロ支局長はさぞやいい記事を書いたのではないかと想像する。

※  ※  ※

優れた外交官にはもっと発言してもらいたいものだと思ったのは、先週水曜日夜8時からの「ニュースの深層」の生放送を見学しての印象だ。ゲストは前スーダン大使の石井祐一さん。レファレンダムの監視団長として年末から3週間南部スーダンに滞在した。

石井さんはいわゆるアラビストで、エジプト、イエメン等々中東地域で勤務を重ねてきた。長年にわたって中東を見続けてきた眼は、今回のチュニジア政変の持つ意味を的確にとらえている。曰く、

「アラブ諸国にとって、民主化と強硬なイスラム主義者たちのコントロールを両立させることは非常に難しい課題である」

??と思う人も多いのではないかと思う。

現在のアラブ諸国=長期独裁/強権政治で、その崩壊後には明るい民主化がやってくるのではないかと思いたくなるからだ。しかし実際に強権政治の後に民主勢力が政権をとるという保証はない。強硬なイスラム主義政党が台頭する可能性も高いのである。(エジプトのムスリム同胞団は反ムバラクデモを支援している)

欧米からは民主化せよという圧力があるが、そうすれば強硬なイスラム主義者も勢力を伸ばしてしまうので、世俗政権を守るためにも強権的な政治をせざるを得ないという考え方のようだ。

眼から鱗の一時間だった。

エジプトでは政教分離が定着しているからムバラクが退陣しても大丈夫だろうという見方もあるが、トルコでも政教分離が危うい状況にあるらしい。私は個人的には穏健なモスレムの人々はとても親切で寛容だと感じているが、イスラム教政党が政権を握ることには反対だ。いや何であれ宗教政党が政権をとることを望まない。思想・信条の自由を脅かすものは排除しておきたいからだ。

ニュースの深層「スーダン南部 住民投票で独立へ」明日朝4時から再放送の予定。
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忘れられないワンカット~追悼:池田敏春監督

  • Day:2011.01.30 08:27
  • Cat:映画
日活ロマンポルノと言うと、顔をしかめる方もいるだろう。が、1980年前後いくつかの傑作が生まれたのは事実。『天使のはらわた 赤い教室』(曽根中生監督)『狂った果実』(根岸吉太郎監督)『赫い髪の女』(神代辰巳監督)などが思い浮かぶ。

池田敏春監督の訃報に接して思い浮かんだのは、『天使のはらわた 赤い陰画』のワンカットである。そう、あの地下鉄のホームを泉じゅんが走り出すシーン。

思わずビニ本のモデルになってしまった土屋名美(泉じゅん)。モデルとしての名美に思いを寄せる村木は喫茶店から出てくる名美を偶然見かける。ついてくる村木から逃れようとする名美は地下鉄の改札を通り抜けようとするときに定期券を落としてしまう。拾う村木を置いて、名美はホームを疾走する。

この最後のカットは、ドリーバックで撮られている。遠ざかる名美の後ろ姿は暴力的な速さで小さくなっていく。

ああ、映画ってこういう風に作るんだ、と思った瞬間だった。ワンカットワンカットをどう撮るか、考え抜いて撮っていくのだと実感させる画(え)だった。

以来30年間、時折このカットを思い出す。池田監督に感謝しつつ、ご冥福をお祈りします。

nami

【お知らせ】スーダンレファレンダム映像の放映【今夜8時】

  • Day:2011.01.26 12:00
  • Cat:映画
1月26日(水)20時~ CS朝日ニュースター「ニュースの深層」で先日撮影してきた南部スーダン住民投票の映像が流れます。ぜひご覧ください。

ゲスト:石井祐一(前駐スーダン共和国大使、住民投票監視団団長)
司会 :土井香苗(ヒューマン・ライツ・ウォッチ東京ディレクター)

視聴方法
スカパー!:256ch
スカパー!e2:352ch
ケーブルテレビで見られる場合もあります。
詳細

中国人観

エチオピア航空606便バンコク経由広東行きは深夜1時5分にアディスアババ空港を離陸する。出発時刻を過ぎてようやく搭乗口ロビーに通された200人余りの乗客たちの中に、ひときわ目を引く一団がいた。15人程度の男性グループ。茶や黒のくたびれたジャンパーとスラックスを身にまとい、顔つきだけ見れば日本人と見紛う。しかしその顔色は長い間陽に焼けて黒ずみ、眼つきはややうつろで日本人のそれとは異なる。広東行きだから中国人客は大勢いるが、その中でも異彩を放っているのは、ロビーを一列に歩くさまがよく訓練された兵士を思わせたことや、背格好がまちまちなのにも関わらず全員が共通のほこりっぽい匂いを放っていたからだろう。

搭乗時間となり、25Lの座席を探していた私が眼にしたのは、その中国人グループでも最年少かと思われる背の高い青年だった。そこは自分の席だと思うのだが、というつもりで搭乗券を見せるも反応がない。「Twenty five L」と話しかけても英語は理解できないようだ。斜め前に座っていた同僚が何かを言うと、通路側の座席にしぶしぶ移動する。が、足元のかばんはそのままだ。かばんを、というと、問題ない、というような何事かを中国語で発音した。そっちに問題がなくてもこっちにはあるのだと憤りつつ、窓側に座り、かばんをとって隣に渡す。15人のグループは間に一人二人の乗客を挟んで席を占めている。チェックイン時に座席指定がされず、搭乗口ロビーに入るときに座席指定をしたのでこのような状態になったのであろう。結果、少し離れた同僚に向けた中国語があちこちで飛び交うことになった。ヘッドホンジャックが壊れていて音楽も聞けない。これは眠れないなといらだちと諦めを覚える。バンコクまで長い9時間になりそうだ。

機内食のサービスが来た。客室乗務員は「チキンかフィッシュか」と訊く。私はチキンを頼む。隣の青年は理解できないのか黙っている。すると客室乗務員は「Beef」と書かれた皿を彼のプレートにおいた。私もビーフのほうがよかったのにと思う。英語が分からないのもいいかもしれない。
食後は中国語の氾濫も治まり、中国人グループは眠りについた。杞憂に終わったことを悦び、私も眠ることができた。

きっかけを作ってくれたのは青年と通路を挟んで隣に座っていた(たぶん)エチオピアの男性だった。バンコクまであと2時間というところで、朝食が出た。そのエチオピア男性が、彼に何か話しかけている。見ると青年はパンにチーズをつけようとしていた。エチオピア男性はマーガリンをつけるのだと教えている。チーズはクラッカーにつけるのだとも指さして教える。パンが食べ終わり、チーズの包装を剥こうとするがなかなかうまくいかない。エチオピア男性に感化されたのか、私は彼が手に持つチーズの銀紙をはがしてやった。続いて。コーヒーにはこれを入れるのかと青年が聞いてきた。手に持ったものを見ると、「Pepper」と「Salt」という文字が見える。いや、コーヒーには「Sugar」だろうと言うと、「シュガ!」と納得して探し出した。初めて言葉の意思疎通ができた。

食後は筆談になった。初めての経験だ。「何処?」「安徽省」「名前?」「仕事、建設?」「何歳?」と質問攻めにする。「休暇」を「休假」と、時に漢字を「訂正」されたが、本場はあちらだから仕方がない。少し嘘だが、「我在東京」と書くと、「新宿」と書いてくる。全然嘘だが、うなずいておいた。どこから来たのかとの問いに彼は「刚果」と書く。これはお手上げだという顔していたのだろう、彼はパスポートを出してビザを見せてくれた。へえ~コンゴ民で働いていたのか、いつから?2010年4月3日から。20代半ばだ。彼らは8カ月コンゴ民主共和国の建設現場で働き、久々に帰国するのだ。陽に焼けているはずだ。

バンコクに着いた。衡建功君に別れの挨拶をした。9時間の旅は快適なものに変っていた。

hitsudan

The Referendum has started!

  • Day:2011.01.10 00:20
  • Cat:映画
It`s the first day of polling to decide separation or unity of South Sudan. So far it is going well, smooth and peacefully.

I feel hapiness to be here, wath it and hear people`s opinion.

The vote started 8 am. Mr Donato and I arrived a polling station in Munuki area at 8:10, when Ms Roda* was about to vote. I hurried to switch the camera on, and get out of the car, started to shoot. Roda wore a briliant orange cloth on her body. It was very beautiful!

There were hundreds of people waiting for voting. Older people and desabled people were prioritised.

A Japanese Observation Team, Mr. Kurimoto and Ms Ando, came there at 10:00. They appreciated the management of polling station but added a possibility to prolong the polling peoriod. Since the speed of voting (only 8 people could vote in 10 minutes) is to slow to give the all registered people the opportunies.

After observation, during it I was shooting, we enjoyed fresh Mangos presented by Roda under the Mango trees I shot 3 years ago.

*Roda is an about 80 years old woman. She is one of the main actress(?) in the movie ~Abuba and Yaaba~.

polling

ロダさんは南部スーダンの独立を願うのか

  • Day:2011.01.03 19:52
  • Cat:映画
明日スーダンに向けて出発するので気忙しい。忘れ物名人だから、何かを忘れるのは仕方がないので、現金、パスポート、eチケット、ビデオカメラ、テープだけは忘れないようにしようと荷造りをしたところだ。

報道でもちらほら見かけるように、9日から南部スーダンの独立を問う住民投票が行われる。ジョン・ガランが唱えた「New Sudan」の理念(統一スーダンの民主化)にもかかわらず、圧倒的に独立賛成票が多いだろうと言われている。この歴史的な出来事の中で、名もない一人ひとりがどんなことを考えているのかが興味深い。それは正史には残らないことが多いから、記録する価値がある。

私は3年前にジュバのある家族と知り合いになった。老夫婦と孫たち(といっても成人している)で暮らす家庭だ。老夫婦の子供たちは内戦に参加して行方不明になったり、家出したり、病気で死んだりして誰もいない。家出した娘の子供たちが残された。孫娘のサンディは子供を二年前に産んだ。本来なら4世代家族だが、上から2番目が抜けた3世代家族である。この家族がどちらに投票するのか、というのが今回の取材の第一の目的である。

夫婦の名前はヨセパとロダという。1983年。第二次内戦が始まった時には結婚してジュバにきていた。ジュバに住んでいた夫妻にとって、一言で独立賛成と言えるほど今回の住民投票は単純ではないだろうと推測している。というのは、彼らはずっと北の政府支配下に住んでいたからだ。

現在ジュバは南部スーダンの首都であるが、内戦中は北部政府の支配下にあった。つまり政府軍がジュバを守っていた。戦闘はジュバ以外の街やブッシュで行われた。ただ、南部スーダン人民解放軍(SPLA)がジュバに攻め入ったときがあった。1992年7月7日のことである。地元の人はこの日の戦闘を「サバ・サバ」と呼んでいる。ヨセパとロダの家はその時焼かれた。幼いサンディをおぶって逃げ回ったとロダさんは言う。内戦中最大の恐怖は、SPLAによってもたらされたものだ。独立すればそのSPLAが政権をとる。

しかし、もうひとつ事情がある。夫婦の息子(ラドとワニ)は小学生の時に内戦に参加している。SPLAに加わるために家出した。ロダさんの話では自発的に参加したようだが、ひょっとしたら連れ去られたのかもしれない。自発的に参加したのなら息子たちの軍であるSPLAを支持していたとしてもおかしくない。連れ去られたとしたら…どちらだろうか。

家出した娘オンジュマさんは、ハルツーム(北部)近郊の、ロダさんの妹マリアさんのもとに身を寄せた。今回、北に避難していた南部人が続々と戻ってきているという。オンジュマさんやマリアさんもひょっとしたらその中にいるかもしれない。だがもし彼女たちが北を永住の地と選んだとすると、南部が独立すればロダさんは妹と娘と違う国の国民となってしまう。それでもロダさんは独立に賛成票を投じるだろうか。

かように個人の事情を知れば知るほど、独立か統一かを選択しなければならない今回の住民投票が個々人に突きつけるものが、これまでの出来事と密接に関係しているものだということを感じる。これを表現できれば最高だと思う。

yosepa_roda
ヨセパとロダ

地デジ化対応の最も安上がりな方法

テレビを全く見ないので、これまで何にも対応して来なかった。
去年の11月末でエコポイントが終了するから買おうかと母が言っていた時も、今年の6月までにはポイント分以上安くなっているだろうと嘯いておった。

ところが年末に来て、やはり正月は暇だから少しはテレビを見ようかと思い直す。映りの悪いアナログ放送は勘弁してほしいので、地デジ対応テレビを買おうか、ついでにブルーレイプレイヤーも、と調べ始める(普段ビデオをハイビジョンで撮影・編集しているくせに、未だHD対応テレビも持っていないというのはちょっとおかしいだろう!)。

価格.comで調べると、有名ではないメーカーの22型のフルハイビジョン対応テレビが22000円、東芝REGZAのブルーレイプレイヤーが16000円程度で買えることが分かる。小学校3年生のとき買ってくれたサンヨーのカラーテレビが19万円もしたことを思えば安いものだ。

と早速購入と思ったが、念のため近所のホームセンターへ。やはり価格.comのほうが安いか。ふと近くの棚を見ると、地デジチューナー3980円とある。ああ、こういうのもあったな、でも、ほんとにこれをつけるだけで、今のアナログテレビで地デジが見られるのだろうか?もしこれで地デジが映るのだったらこれまでの大騒ぎは何なのだ、と手に取る。いつもお世話になっているBuffalo製だから大丈夫だろう、と購入。

うちのテレビアンテナはUHFアンテナだ。すごく昔はVHFだったのだが、いつだったかUHFになった。UHFというのは「田舎のアンテナ」というイメージがある。キー局の電波がVHFだったのに対して、チバテレビなど地方局がUHFだからだろう。UHFになったときはちょっと嫌な気がしたが、しかし今回はこれが幸い。

地デジの電波はUHFでとらえる。でも今あるUHFアンテナではだめで、きっと取り換えなければならないのだろうなと憂鬱な気分になっていたことも、地デジ対応に身が入らなかった理由だ。

ところが、3980円の地デジチューナーをかませたら、とても鮮明な映像が現れた。スタンダード画質でもこんなにきれいに映るのかと目を見張った。アンテナを取り換える必要もない。もう2台あるアナログテレビも別途チューナーを買えばデジタル放送が見られる。当面廃棄しなくてもすみそうだ。

この地デジチューナーにはエコポイントはついていない。例えばあと10年使えるアナログテレビに地デジチューナーを加えて使い続けることと、アナログテレビを廃棄し、同じ画面サイズであれば消費電力が少ない地デジ対応薄型テレビを購入して使い始めることでは、今後10年間のCO2排出量にどんな違いが出るのだろうか(これは環境関連の学生の卒論テーマとして面白いかもしれない)。

こども環境白書2010(平成21年版)には新旧テレビの消費電力の比較しか出ていない。地デジチューナーや新テレビの製造にかかっているエネルギーのことには一切触れられていない。環境省がこれに思いが至らないとしたら相当間の抜けた官庁と考えざるを得ないので、あえて情報を出していないのだろうと思う(多くは海外で製造しているから無関係だと言うのであれば尚更その近視眼的な姿勢が問われる)。

エコポイント制度は消費を拡大するためにモノのライフサイクルを短くして需要を先食いするのが本来の目的だから、政府にとってはトータルの二酸化炭素排出量が増えようがどうでもいいのだろうと思う。「エコ」なんて単なる飾りだ。一時的に経済を良くするだけで、モノを粗末にしてもよいという考えを広める。モノを粗末に扱えば、ヒトに対しても邪険になりはしないか(自戒をこめて)。


ということでとりあえずアナログ放送終了後も地上波が見られる状態にはなった。ハイビジョンを楽しむ日は遠のいた。

あけましておめでとうございます

woodstove
今年は寒いので大活躍。
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