身近な不正

  • Day:2010.09.25 06:12
  • Cat:時事
戦前の話かと耳を疑うような話…郵便不正事件で特捜部主任検事がフロッピーディスクを改竄したという例の話である。

前田恒彦容疑者は、2009年5月26日厚生労働省元係長の自宅からフロッピーディスクを押収、偽証明書の作成日時を、検察のストーリーに合わせて書き換えたと報道されている。

権力を持った人間が思い込みで捜査し、都合の悪い物証を変造するのでは、狙われた方はたまったものではない。久々に脚光を浴びた「フロッピーディスク」*も居心地の悪い思いをしているだろう。

※ ※ ※

さらに興味深いのは昨日の読売新聞の報道。前田容疑者の改竄に気付いた検事3名が、今年1月30日にその事実を特捜部副部長に告発していたという。しかし、副部長と部長は前田容疑者の主張(過失)を鵜呑みにして(というかこれが事実であって欲しいと願ったのだろうが)何も手を打たなかった。

私が「興味深い」のは、上司たちの行動は論外として、その後3人の検事はなぜ沈黙したのだろうかということである。

直属の上司が何も手を打たないのならば、最高検へ伝えるとか、マスコミにリークするとか手はあると思う。弁護側の証人として出廷することだって考えられる。それをしなかったのはなぜなのか?

前田容疑者の行為が犯罪だという確信が持てなかったのだろうか?上司に告発した以上そうではあるまい。検察内部での告発は即捜査機関への告発だから通常の組織内でのそれとは意味が違う。意を決して告発したからには相当の確信があっただろう。

確信があったが、それ以上の手を打たなかった。それは、「もう自分はやることはやった、後は上司の責任だ」と考えたからかもしれない。または、「最高検やマスコミに知らせることは大阪地検の一員としてすべきことではない」「そこまでやると組織にいられなくなる(つまり職を失う)」という理由かもしれない。

いずれにせよ、1月末から何もなされなかったために、9月10日の無罪判決までの9か月間、村木元局長は不安な日々を過ごさざるを得なかった。3人の検事はこの事実をどう受け止めているのだろう。彼らがさらに行動を起こしていれば、起訴取り下げとなって元局長の苦痛は少し短くて済んだかもしれない。

無罪判決が出たからまだよい。有罪判決だったら…想像するだに恐ろしい。

※ ※ ※

身近な不正行為にどう処するかというのは案外難しい問題だ。これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学には、ユナボマーを告発した弟の事例と、家族を告発しなかった故に職を追われた大学学長の事例が紹介されている。両例とも肉親を告発することへの躊躇いと、法を守ることの葛藤の事例である。ユナボマーの弟が告発した理由は、しなければさらに犠牲者が増えるから、ということだった。ここでは守るべき「利益」の比較衡量がなされている。「利益」を比較衡量して物事の判断を下す立場は功利主義につながる。ベンサムの「最大多数の最大幸福」だ。サンデル教授は功利主義を退けているが、ここではその功利主義に立ったとする。

沈黙した3人の検事が守ろうとしたのはいったい何か。組織(ひいては自分の職)であろう。結果的に大阪地検の信用は地に落ちたが、たとえ大阪地検の信用が表面上守られたとしても、それが元局長を苦痛から解放すること-ひいて「正義」-より重いとは私は思わない。


*改竄された文書の最終更新日時は2004年6月1日。この頃までフロッピーディスクを使っていたというのはにわかに信じがたいことである。
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コタバトから-ワークショップ終了

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顔半分見えているのがファシリテイターのDaniel。

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Girselleは編集作業も彼らにまかせた。

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腕を組んでいるのはRos。

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編集しているのはRiza。


6日間のワークショップの最終日、いよいよ各グループの作品発表である。作品はいずれPROBEのHPにアップされる由。


1.PEASE
両親を戦争で失った男の子(イボイ)が街を彷徨い、幸せそうな親子をうらやましく思い、そして癒されていくというストーリーを、映像と音楽だけで見せている。言葉は回想シーンでイボイが叫ぶ「ママ、ママ」という一言だけ。詩的な作品で、可愛らしさに皆相好を崩すだろう。ワンカットワンカットをあらかじめ考えて撮られたものだけに、いい画が多い。ただ、「イボイが笑顔を取り戻す過程が少々イージーか」とコメントをしたが、それもまたパターンに押し込めようとしているだけなのかもしれない。

2.The IDOLS
盲目の夫婦がいる。共にマッサージで生計を立てている。粗末な家が密集している。妻はモスレム、夫はクリスチャン(元、現在はモスレム)。Interfaithと制作グループは表現する。子供たちは元気だ。夫は言う「本当の愛には宗教やそのほかの物なんて関係ない」。照れてしまうようなこのセリフが彼の口から出ると素直に届くから不思議だ。「今夜は本当の愛について考えてみたいと思わせられた」とコメントしたが、彼らに見えて私に見えないものがあるのだと言えばよかったか。

3.GieForce
モスレムとクリスチャンが共に学ぶ中学校がある。生徒たちは口々に「最初はトラブルがあったが共に遊んで学ぶうちに大切な友達になった」と言う。ジルバブを被った校長先生も「異なるバックグラウンドを持っているから最初からうまくいくわけはない」と言う。校庭で仲良くインタビューを受ける生徒たち、一緒に下校する生徒たちの姿は、大人たちに暗に問いかけをしている。セッションでDirect/Indirectというキーワードで表現した手法を生かしてくれたのかもしれない。余談だがこのグループの4人のうち3人はモスレムで断食中だったのが、もう一人のクリスチャンも断食に付き合ったそうである。

4.MassComrades(前回の設定とは別のもの)
Kashという青年のロングインタビュー。彼の両親はMNLFの兵士だった。彼も子供のころから兵士になろうと考えていた。ある時彼は避難所(evacuation center)に収容される。そこは劣悪な環境で食べ物もろくに無かった。彼のいとこはそこで死んだ。そんな生活が彼に疑問を抱かせる。「武力による平和」への疑問である。今、彼は活動家になり、精力的に平和のために働いている。何よりも元兵士(候補)の体験は重い。画面に皆釘付けになった。彼の気持ちを変えたのは、避難所での生活だった。彼の気持ちは徐々に変わっていったのだと思う。これはともすれば劇的な出来事に遭遇して変心するというようなステレオタイプな設定を発想しがちな私にはとても意外だった。時間がかかるのだよ、諦めずに続けることだと教えてくれる。

5.ReconKIDS
戦争で両親を失った少女がいる。幼い弟二人と共に暮らす。彼女は淡々と今の境遇を語る。「両親の役割を私が果たす事になった。弟たちの世話、水汲み…」「家族が一緒ならどんなに貧乏でもいい」「これからどうなってしまうのだろう」。白いジルバブを被った彼女の頬に涙が伝う。少女との距離はほとんど感じられにないくらい制作チームは彼女に寄り添う。紛争が、その当初の目的に反してしわ寄せを与えた場所にカメラはいる。これからも少女との付き合いを続けてくれるようにお願いした。

コタバトから

昨日はワークショップの3日目、シナリオライティングがテーマだった。

3~4人ずつに分かれた5つのグループは、高校生、メディア系の学生、職業訓練校生、NGO(Kids for Peace)メンバーとさまざまである。皆とても素直で真剣だ。各グループには若いプロの映像製作者一人ずつがファシリテイターとしてついている。これはとても贅沢な環境と言える。

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彼らの取り上げた題材は次のようなもの。
グループ名:内容
GieForce:イスラム教徒とキリスト教徒の混在する学校で、生徒や教師にインタビューし、共にうまくやっていく秘訣を探る。
PEACE:紛争に巻き込まれたトラウマを持つ子供があるNGOのケアで癒される過程を描く。
The IDOLS:異なる宗教の夫婦を取材する。
ReconKiDS:紛争で障害を負った子供の日常を描く。
Mass Comrades:コタバト市の治安悪化を犯罪被害者や警察に取材する。

彼らにとっていかにしたら異宗教がうまくやっていけるかということが大きな関心であることがよくわかる。

今日は撮影、日の出を撮るチームは5時に宿舎を出た。

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GieForce

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Mass Comrades

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PEACE

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The IDOLS

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ReconKiDS

コタバトから

フィリピンの南、ミンダナオ島にあるコタバトに来ている。昨日から始まったYouth Films for Peaceというワークショップに参加するためだ。参加者は18名の若者たち、主催はPROBE Media Foundation Inc.というケソンシティの会社である。

タイトルが示すとおり、このワークショップは平和を目指したメディアの利用を目的としている。18人の男女は5つのグループに分かれて3分程度のビデオ作品を作る。キーワードは平和、紛争・軋轢、相互理解、多文化主義などなど。

これらを扱った映像作品にどんなものがあるか、どんな立ち位置で表現しているかを午前中に紹介し、議論した。紹介した作品(予告編や一部)は次のとおり。この場を借りて御礼します。
・『華氏911』(マイケル・ムーア監督)
・『セプテンバー11』(ショーン・ペン監督のもの)
・『ノーマンズランド』(ダニス・タノヴィッチ監督)
・『駅馬車』(ジョン・フォード監督』
・第二次大戦中の日本のニュース映画
・『ザ・コーブ』(ルイ・シホヨス監督)
・『ダイオキシン』(レー・クイ・ドン中学校(ベトナム)制作)
・『パブリック・ハウジング』(フレデリック・ワイズマン監督)
・『ミリキタニの猫』(リンダ・ハッテンドーフ監督)
・「いつも卵の側に」(村上春樹氏のイスラエル賞受賞スピーチ)
・国境なき医師団のCM
・『アバター』(ジェームズ・キャメロン監督)

強調したのは同じ出来事を題材としていても、描く視点が異なるとまったく違う作品になるということ。以前上司に教わった事をそのまま述べているのだが、当時より若干は実感が伴っていると思う。

ミンダナオ島には多くの部族が住んでいるが、最も最初から住んでいるLumadが8.9%、イスラム教とともにやってきたモロが18.5%、北部から移住してきたキリスト教徒が72.5%という人口比だそうである。土地の分配でLumadとモロが冷遇されたため、紛争が続いてきた。ここでもそうだが、土地という資源をめぐる軋轢がいつの間にかキリスト教とイスラム教の対立というフィクションに転訛されてしまっている。

十代後半の若者たちも紛争に無縁ではない。
午後のセッションでは5グループに分かれて、トピックを決めるためにこれまでの自分の体験を話し合ったが、一人の男の子は涙ながらに切々と語っていた。ビサヤ語なのでまったく分からなかったのだが、たぶん彼が経験した悲惨な思い出がそうさせたのではないかと推測する。

安穏な日本から来た自分に紛争解決のためのビデオ制作を語る資格がいったいあるのだろうかと若干戸惑うものの、だからこそ、ステレオタイプを脱した作品作りに協力する意味があるとも思う。

明日はシナリオ作り。
その後2日間で撮影・編集する予定である。

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