カレイが釣れるとは!

karei


今シーズン二回目の釣行。噂には聞いていたが小生には縁のない代物と思っていた。セイゴが釣れればいいかと思っていたところ、生まれてこの方感じたことのない手ごたえ。バラさないようにとリールをゆっくりとまわしたところ、水面から現れたのがこれであった。

一年分の「運」を使ったかもしれない。まあいいか。
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That's just one side of me.

スーザン・ボイルさんのセリフ。
髪はくしゃくしゃ、太い眉、あご下の豊かな肉と、およそオーディション番組に似つかわしくないいでたちで現れたスーザンさんに、審査委員の一人が年齢を聞いた。

「47歳」

(やれやれという表情の審査委員)

「それは私のほんの一面にすぎないわ」

シニカルだった会場の流れがここで変わる。そして、Amazing! Incredible!の連呼となった。



12歳から歌っていたというスーザンが、これほどの声を持ちながら今まで世に出られなかったのはなぜなのだろう?自身が言うようにたまたま機会がなかったのか、それともルックスへのコンプレックスか。

"That's just one side of me!"と切り返せるようになったとき、キスもしたこともない「箱入り娘」だと自分をさらけ出すことができるようになって初めて、この歌声が彼女のものになったのかもしれない。

丸ガニ

crab

この世に他のカニがいるなんて思ってもいなかった少年時代。カニと言えば丸ガニだった。

それが、ワタリガニが登場した。身が多い。流線形の甲羅をしている。丸ガニより洗練されているような気がした。さらに毛ガニ。見た目の勇壮さと値段にありがたがった。そしてタラバ、ズワイ、花咲、マングローブクラブを味わった。もう蟹に関してはこの世に思い残すことはない。

でもやっぱり、一番美味しいのは丸ガニである。身は締まっていてジューシー。甘さが歯根に届く。爪や足の身も食べるがメインは体の身である。半分に割って始めは箸でかき出して口に運ぶが、結局は軟骨(?)ごとバリバリ食べてしまう。甲羅にくっついた卵と味噌をほじるのも至福のひととき。卵は飲み込んでしまうのがもったいないくらい味がある。

メスはふんどしが幅広で赤みを帯びている。卵はあるが身の味はオスが勝る。どちらがあたっても満足できるカニだ。

刑部岬の土曜の楽しみ

iiokaport


「ぎょうぶみさき」と読む。「刑」の字がおどろおどろしいが、これは旧飯岡町にあったとされる佐貫城に仕える家老、鬼越刑部栄定の居宅がこの岬の崖下近くにあったからだという。「鬼」もちょっとこわい。さらに、刑部は「おさかべ」とも読み、刑務や訴訟などに従事していた者の苗字だった可能性もある。佐貫城は平安時代にあったようで、今では海の底だそうだ。

tenboudai


灯台のそばに、展望館が建てられたのはいつだったか。少なくとも私の高校時代にはなかった。今ではちょっとしたデートスポットになっている。

土曜日には唄種(うたたね)がライブをやるというので、10時頃行ってみた。

utatane


展望館の一階通路が、ちょうど音が反響していいらしい。コブクロのカバーやオリジナル曲を歌ってくれた。最近拙映画のために作ってくれた「endless letter」も。

毎週土曜日10時頃から、もちろん無料。

空罐 - 林京子

  • Day:2009.04.13 06:13
  • Cat:
文学少年さんに教えてもらった「空罐」(林京子)は、間もなく廃校となる校舎を30年ぶりに訪れた5人の同窓生の記憶の物語である。

場所は長崎、5人はここで高校時代を過ごし、そのうち4人は被爆した(1人は投下後に転校してきた)。がらんとした講堂の入口に立った時、4人は追悼式を思い出し、1人は弁論大会を思い出す。さまざまに記憶が蘇る。
自分の教室の場所をめぐって「私」は考える。

同じクラスになったことのないはずの「私」と西田は、校舎の角とその片隣りの教室にだけあった扉のノブに見覚えがあった。つまり、二人の教室は隣合っていたのだろうと結論付ける。問題はどっちがどっちの教室だったかである。

大木がその角の教室の壁の後寄りには穴が空いていたという。「私」も座席から振り返ってその穴越しに隣の教室の友達に目くばせしていたことを思い出す。「私」は、前の座席に座っていたはずなので、角の教室が「私」のクラスだと思う。

こういう描写に出会うと見取り図を画いてしまう。正しいかどうか自信はない。
nkoujo

30年という時間は久しく呼び起こしていない長期記憶を蓄積させた。5人の会話はその途切れた記憶相互の糸を修復し始める。

さらに大木は角の教室にはきぬ子がいたと言う。「私」は今のきぬ子を知っている。西田は弁論大会に出たきぬ子の姿をかすかに覚えている。が、同じクラスになった記憶は二人ともない。

その次に大木が発する一言に、「私」はきぬ子が同じクラスだったことを思い出す。空罐事件はきぬ子だったんだと。明日体内のガラスを取り出すために入院するきぬ子の30年前の姿を思い出す。

同窓会をきっかけにきぬ子とつき合うようになり、一緒に恩師の墓参りをしたほどなのに、「私」はその事件ときぬ子を結びつけて思い出すことがなかった。「誰だったか、と言うことよりも、事件そのものの方が、印象に深くあった。」からである。あの頃の彼女たちには忘れてしまいたいことがどれだけ多くあっただろうか、そしてそのいくつを忘れることができただろうか。高校時代のきぬ子の、その切ない事実は彼女の抜けた頭髪とともに記憶の底に30年間沈んでいた。

森田健作知事の資質

♪恋のため愛のため まっすぐに生きるため

ご存知、「さらば涙と言おう」の2番の一節である。個人的にはとっても好きなフレーズ。
森田健作氏に投票しなかった私にとっては、彼のこの「まっすぐ」なイメージが大きな要因であった。
政治家はまっすぐだけではやっていけないんじゃないか?正論で相手を納得させられるだけの力量はないのではないだろうか?ということは結局周りの人たちから操られるだけではないか・・・・。

結果的に大差で当選したということは、私が世論と遊離していたということでもあろう。小学3年生の時に巨人ファンをやめてから、メジャーとは縁がない。

その森田知事のイメージを覆すようなことが判明した。「完全無所属」と宣言していたのに、「自由民主党東京都衆議院選挙区第2支部」の代表を務めていたのである。

一瞬、なかなかやるじゃないか、と実は思ってしまったのである。政治家の資質があるじゃない、って。

と思ったのは、やはりどこかで政治家は「腹芸」や「嘘」に長けていないといけない、真っ正直だけではやっていけないだろうという考えがあるから。森田氏も正直だけではないんだと、少し見直しかけた。

でもやっぱり変だと思い直したのは、「腹芸」を使うのは、それが結果的に人々の為になる場合に限るのだと気づいたから。

自分の利益のための「嘘」や「腹芸」は唾棄すべきことだ。

鬼泪山の公約も、そうでないかと疑ってしまう。

北朝鮮の日常風景

貧しいと言われる国でも、子供たちの瞳や笑顔に救われた思いをすることはよくある。例えば15年前のバングラデシュでも、朝の散歩でこんな姉弟に出会えた。

banglakids


「この写真集を一見すれば、貧寒な農村風景の中にも喜怒哀楽を失わない人びとが生きていることがわかるはずだ」(姜尚中)との推薦文に魅かれ手に取った『北朝鮮の日常風景』にはしかし、喜楽の表情は見いだせなかった。大人はもちろん、子供も、硬い表情をしている。

写真に慣れていないのではない。KEDOの記録写真家として7年間北朝鮮に滞在した石任生(ソクイムセン)の写真は、ほとんどが車内から通りの人々を写したものか、望遠レンズで狙ったものだから、被写体は撮られていることに気づいていない。それがいつもの表情なのだろう。

唯一、ソリ遊びをする子供たちの写真が、「子供らしさ」を伝えてくれるが、撮られていることに気づいた子も笑ってはいない。頬のふくらみが、食糧事情が良いとは思えないが、飢えるほどではないのだといささか安堵させるのみだ。

外国人が自由に写真が撮れない国は今いったいいくつあるのだろうか?軍事施設の撮影が禁じられているところは多いが、街角すら撮れないところとは。北朝鮮はその一つであり、しかも外国人に自分を撮らせてはならないらしい。

高校時代の三冊

桜の季節がノスタルジックにさせたのか、離任を惜しむ花のおすそ分けを知人からいただいたからか、ハイティーンの頃のベスト三冊は何だろうかと考えた。

順序はともかく、迷わず次の三冊を思い出す。

万延元年のフットボール万延元年のフットボール
(1967/09)
大江 健三郎

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赤頭巾ちゃん気をつけて (中公文庫)赤頭巾ちゃん気をつけて (中公文庫)
(2002/10)
庄司 薫

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キューポラのある街


『万延・・・』はいかにも背伸びしたがりの高校生が読みそう。ギイのことしか覚えていないが、その後大江健三郎氏の著作を読み続けることになった記念碑的な一冊だ。

『赤頭巾・・・』も、続く白、青、黒と読みふけった。こちらは読みやすかったが、東大入試が中止になったことがあるんだあ!と驚いたことと、世の中の電話はすべてお母さんの膝の上にあるんじゃないかという冒頭の部分と、同じ受験生でありながら「薫クン」はイオニア派なんていう難しいことを知っているのかと感心したことなどを思い出す。大学の教養課程の英語に、『ライ麦畑でつかまえて』(『赤頭巾・・・』とよく比較された)を題材とした授業があったので選択したら、たった5人しかいなかったのが意外だった。

『キュー・・・』も5部作を読む羽目になった。こちらはキューポラを見に川口まで足を伸ばしたくらい熱中した。主人公のジュンと、当時懸想していた女性をダブらせていたことをここで告白しておく(*^_^*)。

で、その『キューポラのある街』第一部「ジュン」第二部「未成年」を再読する。みずみずしい文体と新鮮な言葉(たとえば初潮を迎えたばかりのジュンが、送っていこうという先生に「男くさいからイヤ」と言ったり)は輝きを失っていない。一家4人が働いてもよくならない暮らし向き、というのは流石に現在には当てはまらないのだが、繰り返される貧困ゆえの懊悩は普遍性を失わない。

ところがひとつだけ、今の日本人が読んだら笑い出してしまうのではないかと思われる記述がある。ジュンの友達にヨシエという南出身の父を持つ在日韓国人がいるのだが、彼女が父と北朝鮮へ「帰還」し、送ってくる手紙の内容がそれである。当時は朝鮮戦争が終わったばかり。北朝鮮は金日成のもと、社会主義国家の建設に向かって邁進していた。ヨシエの父はジュンの父と同じ鋳物職人なのだが、日本に来てから30年間下積み生活をし、すっかり老けこんでしまっていた。それが北朝鮮に渡ってから、住居と責任ある職位を与えられ(日本で学んだ技術を教えてくれということだが)、仕事に熱中し見違えるほど若返ったというのである。ヨシエ自身もジュンと同じように北朝鮮の製糸工場で働きながら、自分が生産すればするほどみんなが豊かになるんだと希望に燃えている。

ヨシエの手紙は他にも明るい言葉で満ちあふれ、ジュンも、北朝鮮は「理想的」な国であり、韓国は餓死者が出るような軍事独裁国家であるという認識を持っている。

隔世の感である。

少なくともゴルバチョフ以前は、北朝鮮という国が独自の社会主義国家としての理想を追求していると考えている人は日本にも多かったに違いない。それが、東側の崩壊、拉致問題、核問題などを通じて、「悪の枢軸」の一つ、「ならず者国家」となった。衛星を打ち上げると言っても誰も信用しない。よくもまあ、短期間にこれほど変わったものである。

いかに偉大な指導者であろうとも個人を崇拝することは、決定的に間違っていると考える小生としては、『キューポラ・・・』当時の日本人の認識が変わったことは歓迎したい。しかし、今メディアの標的となっている状態がよいのかいえば、少々疑問である。

人の心が移ろい易いことは身をもって知っている。移ろった過程を辿ることに、少しは意味があるかもしれない。

タイトルは「アブバとヤーバ」に

  • Day:2009.04.01 08:35
  • Cat:映画
「対蹠点」→「アンティポード」→「マンゴとコーリャン」

迷走したタイトルですが、「アブバとヤーバ」になりました。
意味は現地語で「おばあさんとおじいさん」です。

ぎりぎりになって変更したのは某配給会社の方の、「タイトルが大事」との一言。まだ分かりやすくはないですけど、アンティポードよりはましになったと思っています。

本編は97分です。3分少々の予告篇をご覧ください。


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