「オメエ」はどのあたりで使われているのか

頭が疲れていたので思いっきり笑える映画を見ようと図書館へ。

「馬鹿が戦車(タンク)でやってくる」という山田洋二監督ハナ肇主演のすごいのを再見。完璧にストーリーを忘れていて、ただただ、ハナ肇が戦車に乗ってリベンジするということだけ覚えていた。

岩下志摩があまりにも美しくしかし結局主治医と結婚するのはつまらないなあとか、犬塚弘が扮する自分が鳥だと信じている弟役と大江健三郎の『個人的な体験』に現れるバードはどちらが先なのだろうと思いつつ、図書館のAVコーナーで笑いを必死にこらえながら見た(調べると両方とも1964年)。少し頭が空っぽに。

妙に気になったのはハナ肇が連発する「オメエ」という呼称であった。

近所の家で夫婦げんかがあった。もう60を過ぎた夫婦だが、夫が怒ったらしい。その理由は、妻が夫のことを「オメエ」と呼ぶからだった。「オメエにオメエって言われる筋合いはねえ!」というわけだ。

「オメエ」は「御前(おんまえ)」から転訛したものだろう。もともとはミカドに対して使った敬称だ。それがなぜ、夫婦げんかの原因になるほど蔑みのニュアンスをもってしまったのか?昔から不思議だった。

もう一つの漠たる疑問は、「オメエ」の話されている地域はどのへんかということだ。映画の舞台は東京湾岸からひと山超えた内陸にある農村だった。千葉側なら当然この呼称を使っている。しかし神奈川となるとどうなのだろう?
東京も江戸っ子なら使っていて不思議はない。「おめえさん」という言い方は落語などでよく聞く。喧嘩っ早いやつは「テメエ」と言うが、こちらは「手前」から来ているから「御前」のような敬意は元々ないのではないだろうか。
山の手の人たちはもちろん「オメエ」なんて言わない。聞けば意味は分かるだろうが、それは関西弁を聞いて意味が分かるのと同じことだ。下町でも今の若い人は使わないのではないだろうか。千葉県の東京寄りもまたしかり。

とすると今でも確実に「オメエ」を使っているのは千葉県の東京から遠い地域だろう。私も転居してから使う機会が非常に増えた。「あなた」なんて使ったら気取ってると思われてしまう。久々に会う人にはずいぶん言葉が乱暴になったと思われているかもしれない。

効用もある。この年になると母親に呼びかける適当な言葉が見当たらない。「かあちゃん」と呼ぶわけにはいかない。子供がいれば「ばあちゃん」と(子供に対して話す素振りで)呼んだらいいのだろうがそうもいかない。そこで「オメエ」の登場となる。「オメエ」も一方通行だと罵倒しているようだがお互いに使えば対等な感じがする。親子喧嘩の種にはならないと思う。
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映画「アンティポード マンゴとコーリャン(仮称)」第6回拡大製作委員会のお知らせ

  • Day:2009.02.25 07:41
  • Cat:映画
本日25日、スーダンと日本に取材したドキュメンタリー映画の製作委員会を開きます。どなたでもご自由に参加できますので、ぜひお越しください。

時間:18:30~
    19:00頃からダイジェスト版(30分程度)を上映
場所:地球ひろば3階301会議室
    http://www.jica.go.jp/hiroba/about/map.html

上映後、今後の公開の進め方について知恵を絞る予定です。よろしくお願いします。

行政の無謬という死語を発見

市役所税務課から届く手紙にはだいたいろくなものはない。固定資産税の通知とかそんなもんだろうと、母親宛ての封書を食卓の上に置いておいた。

朝食をとりながら開封した母が何やらつぶやく。カボチャかと思ったら「カ・ン・プ・キ・ン」だった。ほお、たまにはいい知らせもあるもんだと、またしても先入観に侵された我が身を省みる。

どうやら国保税を納めすぎていたのが、少額とは言え戻ってくるらしい。そんなこともあるのかと書類を見て驚いた。

gonou

「誤納」とは、誤って納めたということだ。
国保税は前年の所得に基づいて計算され、市から送られてきた請求書類のとおり信用金庫から引き落とされていた。金額の算定に母が関与したことはない。

還付の理由は母が1月に「後期高齢者」になったからというものらしい。そんなこと昨年4月時点で分かっていたのではないか?

なのに、「誤納」であり「過誤納」なのか?

自分たちが誤って引いておいて、返すのはいいが利息もつけず、しかも「誤納」と言って責めを納税者に負わすのか?「誤徴収」となぜ言えない。

この町に住むのが嫌になる。
出身者の皆さん、ふるさと納税なんかしなくていいからね。

衆院予算委員会公聴会

1月13日に衆院本会議代表質問のあまりのばかばかしさ=セレモニアルなことを伝えたが、衆議院TVにも他のテレビ局と同じように、面白い番組もあればくだらないものがある。ひょっとしたら面白い番組の比率は民放よりも高いかもしれない。

昨日開かれた衆院予算委員会公聴会は聞きごたえがあった。5時間を超え、『旅芸人の記録』に迫る長時間プログラムの一部をランダムに聴いてみた。

公述人の一人として、「もやい」の湯浅代表が登場、「すべり台社会」是正のためのファンド設立を訴えていた。その主張にそれほどの新味はないものの、何よりも言葉が生きている。彼が現場で接してきたこと+聡明な頭脳で考えてきたことが、こちらに届く普通の言葉で語られている。考えてみれば当たり前のことであるが、国会でこのように発言できることは彼の言葉が信念で裏打ちされているからだろうと感じる。彼は官僚の作文なんか読んでいない。

田中弥生準教授は少々緊張気味だったが、NPOが行政の下請けになっているという問題点を指摘していて、前回の記事との符合に少々驚く。行政のNPOへの委託費では、人件費を年額120万~150万円に設定しているという。また行政からの委託費を受け始めたNPOは創意工夫する余地を失い、個人会員、寄付、ボランティアを募るという活動をしなくなる傾向にあるという。また湯浅氏は、行政から打診を受けたが、あまりにも決まりきっていて工夫の余地がないので断ったという。

アウトソースすればコストが削減できるというのは、考えてみれば次の一つまたは二つを意味する。
1.アウトソース元の人件費はアウトソース先の人権費よりも高い。
2.アウトソース元の仕事ぶりはアウトソース先よりも効率的ではない。

NPOへのアウトソースには行政への市民参加という意味合いもあるだろうが、指定管理者制度はあからさまにコスト削減を標榜している。作られた制度はその設立趣旨から逸脱するという法則があるが、NPOもその例に漏れないのだろうか。

NPOのこと

「レモン市場」という甘酸っぱく唾液腺を刺激する言葉が経済学にはあるのだが、実は中古車市場では低価格の車が売れやすい傾向にあり、その原因は情報の非対称性であるというお話である。

欠陥車のことをアメリカでは「レモン」と呼ぶ。「すっぱい」かららしい。

中古車市場には良い車も悪い車もある。売り手はそれをよく知っていて、それなりの価格をつける。しかしながら買い手は(実際に乗ってみるまでは分からないのだから)売り手の言葉を信じて高い中古車を購入する気にはなれず、安い車を購入する。その結果、レモンばかりが売れ、ひいては中古車は故障しやすいという評判になってしまうという話だ。

市場経済が万能ではないことは昔から指摘されていた。公害は最たる例。レモン市場が示す情報の非対称性もその一つだ。

これも情報の非対称性の一例と言えるかもしれないという体験を今日はした。こちらはその方のお顔やどんなことをお考えで何をなさっているかを少々知っているが、あちらは私のことを一切知らない。栄町で行われた市民活動フェスタのための団体紹介ビデオを制作したので、写真とパンフレットだけとは言え、おそらくは50回を超えるくらい編集ソフト上で接してきていて脳裏に焼き付いている。会場のあちこちでおなじみのお顔を見かけた。内偵中の刑事みたいなシチュエーションで落ち着かない。

一刻も早く「あちらで上映しているビデオを作ったものです・・・」と、当方はあなたのことを知っていることを伝えたくなり、現に何人かの方には申し上げたのだが、すべてとはいかなかった。

62団体が参加したこのイベントは、県のNPO推進月間の目玉である。堂本知事が掲げてきた「県民参加」の象徴とも言えるだろう。予算も人員も知恵も限られた行政だけでは住みよい世の中は実現できないからだという。そんなことは当たり前で、たとえ予算も人員も知恵も十分にあったにせよ、行政だけでは世の中は住みよくならない。依存型の人間が増えるだけだ。

行政が市民活動を評価し、このような形で支援することは一見望ましい事態で、県の方々もよかれと思っているであろう。しかしながらNPO法人という制度ができてその認証権限を県が持っている(会社設立は準則主義だがNPO法人は認可主義と言われている)、そしてNPO法人を対象とした助成金が増える(出す側にとってはアウトソースと呼ばれるが)という状態が本当に望ましいのかどうかはもう少し慎重に考えるべきだろう。

かつて市民団体は自由に活動を行っていた。もちろんお金はない。その代わり知恵を絞ったかもしれない。あるいはそもそもお金のかかることなんか必要なかったかもしれない。数人~数十人が集まれる公共のスペースを無料で借りられて、そこで心を通わせるだけでも良かったのかもしれない。あるいはお金が必要ならば会員を募って、趣旨に賛同してもらえるように言葉を磨き、活動を充実させてきたかもしれない。

それが今、NPOは助成金を獲得するために県に受け入れられそうな事業を考案し、あるいは指定管理者という形で自治体の監督下で公共施設の管理を行うようになった。一般の人を対象として磨いてきた言葉が少しずつ「お上」を意識したものに変わっていってはいないだろうか。感じてきた充足感を「小さなもの」だとみなすようになり、「もっと大きなこと」をするための資金を求めるようになってはいないだろうか。NPOと自治体の関係は、国と地方自治体における補助金と機関委任事務の関係を思い起こさせはしないだろうか。

活動を広げたいという気持ちはよく理解できる。そのために資金が必要になることも。交流から生まれるものもあることは明らかだ。なのになぜだろうか、忙しいという字は心を亡くすと書くのだと誰かが言ったことが思い出されてしまう。

市民活動フェスタ(北総)2009 in 栄   のお知らせ

npofesta


明後日15日の日曜日、栄町で市民活動フェスタが開かれます。千葉県の北総地域の61市民団体が集まって、活動報告や展示などを行います。福祉・環境・災害などなど、いろいろな分野で活動している人がたくさんいます。

この会場で流す映像作品を作らせてもらいました。33団体の写真と文章を素材としたものです。

主催はひと・まち倶楽部。会場はふれあいプラザさかえ。成田線の安食(あじき)駅近くです。ご来場お待ちしています。

論告求刑・最終弁論-遺棄化学兵器処理事業詐欺事件

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ブロマガって何?

肉球

nikukyu


夜中に何かしているらしい。

リック・デッカードの記憶

  • Day:2009.02.04 22:09
  • Cat:映画
メイキング・オブ・ブレードランナーファイナル・カットメイキング・オブ・ブレードランナーファイナル・カット
(2007/12)
ポール・M.サモン

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オタクになりきれないことがコンプレックスの一つである私にとって、ちょっとそれに近づけたかと思えたのはこの本を読んでわくわくしてしまったゆえ。考えてみればこの25年間、結構この映画のことを気にしていたかもしれない。

読後、映像作品もテクストになりうるのだとつくづく実感、なぜならば映されていたものからたくさんのことを読み取ることができるから。言い換えれば、ストーリーは映像作品で表現されているもののほんの一部にしかすぎず、スト-リー以外のものにたくさんの楽しみがあることを教えてくれる(つまり私が気付かなかったことがたくさんあった)。

例えば2019年のロサンゼルスの雑踏を歩く人たちが持っている傘、その柄が光っていることに今まで気づかなかった。また、瞳が光ることがレプリカントの証拠の一つであること。ふくろうの眼が光るのはわかっていたが、それは単に「鳥」だからだと思っていた。レオンやレイチェルの眼が光っていたのには気づかず。画面を見ているようでいて見ていないのだ。

この映画を初めて観たのは1983年6月13日、祇園会館で「シャーキーズマシーン」「ファイアーフォックス」との三本立て、手帳には特に感想は記していないが、凝りに凝ったセットと、未来は明るいものではないかもしれなく、それがやけにリアルだと思った記憶がある。
翌年3月5日には、バイトしていた京一会館でやっぱり三本立てで観ている。「未知との遭遇」「エイリアン」という恐ろしい組み合わせだ。
その後ビデオやDVDで何度も見ている。サントラのLPレコードも持っていて、当時担当していた番組で使用したこともあった(たぶんレコードは処分してしまった)。結構オタクだったのである。


この本はオリジナル版のその後、ディレクターズカットやファイナルカットにも言及している。そう言えばDVDがあったなあと手に取ると、なんと「ディレクターズカット」。ジャカルタで買ったのをすっかり忘れていた。

東南アジア版は日本で売っているDVDプレーヤーでは見られない。リージョンコードが違うからだ。パソコンではどうかしらと思って入れてみると、なんとリージョンコードを変更することができた(ただし4回まで)。「3」にセットして、字幕なしを見る。

オリジナルにはない場面の一つが一角獣のカット。リドリー・スコット監督がこだわったものだ。これが、リック・デッカードの秘密に通じている。やるせない。

unicorn

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