大漁

seigo13

ピントは眼に合わせろ!
と、テレビのカメラマンに聞いたことがあります。
さて、どの眼に合ってますでしょう
天気のおかげか、少しは上達したのか、場所が良かったのか、13匹も釣れました。

iroribata

もう許してください!って言うぐらい食べました。
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一つの時代が終焉・・・するか?

  • Day:2008.01.28 09:08
  • Cat:時事
インドネシアのスハルト元大統領が昨日亡くなりました。86歳。
1966年から1998年までの33年間、彼は「開発の父」であり、また「KKN(カーカーエヌ:汚職、談合、縁故主義)政治」の人でもありました。

その任期の最後の5か月間をジャカルタで過ごしたものとしては、感慨深いものがあります。

私の主な仕事相手はインドネシア政府の役人だったのですが、聞きしに勝る中央集権と上意下達のシステムのなかで、インドネシア国民のために仕事をしようという気持ちを持っている人は(限られた相手の中ですが)ごく少数でした。「全ては天の声が決める」という諦観が支配的な体質だったのです。

それが、旱魃による米不足、森林火災が相俟ってあれよあれよという間に世の中が不安定になっていきました。決定打はスハルトがよろけたという「事件」、一応開発独裁として安定感を保っていたインドネシアは一挙に信頼を失くし、タイあたりから始まった通貨危機の荒波の直撃を受け、通貨ルピアは10分の1にまで下落したのであります。
同じ頃、ガソリンの値上げが実施されますが、その前夜のスディルマン通りは、値上げ前に満タンにしようと列を成す車で大渋滞に陥りました。

一方で学生たちはスハルト退陣を主張し始め、連日学校内でデモを展開しました。インドネシア大学、アトマジャヤ大学、トリサクティ大学といったジャカルタの大学では、学生たちの興奮と警備の軍のにらみ合いが続きます。

5月12日、トリサクティ大学で集会中の学生が射殺されます。これがきっかけとなって14日に市内のあちこちから火の手があがりました。暴動です。そのとき私は国家開発企画庁というところで大きな会議を傍聴していたのですが、会場内がざわざわしだしたので抜け出して、ヌサンタラビルの上層階にあるしゃぶしゃぶ屋の窓から燃え上がるタナーバンを見ました。この日から24時間体制の緊急避難オペレーションが始まります。

結局スハルトは20日に辞任、副大統領のハビビが大統領に就任します。

退陣後のインドネシアの政治家や役人たちのスピーチの中には、KKNを糾弾し、レフォルマシ(改革)やオートノミー・ダエラ(地方分権)をという言葉が溢れました。そして不十分とはいえその政策のいくつかは実現しています。

暴動では約1000人(主として華人)が殺されてしまいました。レフォルマシを叫んだデモと、混乱に乗じてコタの商店を襲い華人を殺害した暴徒は全く別のものですが、両者が相乗してスハルトを退陣に追い込んだのは事実です。その犠牲者たちのためにも、インドネシアで民主化を実現しなければならないと思っていた人たちもいたでしょう。

でも、スハルト退陣後もスハルト的体質は依然としてインドネシア政府には根深く残っています。KKNを根絶することは日本でもできていませんから無理としても、せめてもう少し少なく、また露見したときくらい法によって裁かれるシステムになってほしいと思います。

暴力と混乱によってしか独裁政権が終焉しないのかどうかはわかりません。でも、グッドガバナンスに近づくために必要なことは理性と説得と知足安分の精神でしょう。

衣装付けの儀

本番まであと一週間、先週の日曜日から神楽の儀式が始まりました。

いつもは二月第一日曜日のお祭りだけ見に来ていましたが、今年は世話人の浪川嘉平衛さんにお願いして、他の神事や神楽衆の練習を見させてもらっています。

ishouduke


今日は神様だけに見せるための舞。写真の天狗と手力男、大黒、稚児舞が奉納されました。

神楽衆は16人の青年たちです。この神楽の特徴は神楽衆が若いこと、ほとんど20代だと思います。でも、これでも年齢層が上がっているそうです。昔は18で入って25歳で終了だったと聞きました。この頃は高校を出た後いろんなところに行く人が多いからだそうです。

横笛と太鼓、鼓の調べを聞いていると、わけもなくうきうきしてきます。

神楽衆は毎晩この神社に集まって練習しています。今年初参加が二人、先輩が舞を伝授していました。新人は演奏のほうから入るのかと思ってましたら、まず舞からだそうです。大黒を演じる新人くんの足つきもだんだん様になってきています。

15秒CFを作りました



短いのは難しいですなあ。

なんかこうパカンと割れるような表現をしたかったのですが・・・詩的な人間ではなく、じっくりしんねりむっつりなんで、どうしても叙述的になってしまいます。スーパー入れたりしてね。

でも、30分バージョンを見たある方からは、「背景を知らない人には何をやっているかわからないかも」と言われたので、叙述もうまくないのでしょうし。
まあ、あんまり悩まず作り続けますか。

祝!「虹のかなた」 東京ビデオフェスティバル入賞

ICUの学生が中心となった劇団「虹」と、おととしアチェ公演を行いました。(その時の記事

そのドキュメント「虹のかなた」が東京ビデオフェスティバルで入賞したと、撮影・構成・編集・ナレーションを一人でこなした七瀬監督から嬉しい知らせをいただきました。
東京を出発して現地で公演を重ねる旅と、芝居のストーリーをうまく重ね合わせた作品に仕上がっています。いやいや、何よりも魅力的なのは・・・これは見てのお楽しみということで。

「虹のかなた」を見る

これを見て思うのは、今更ながら記録映像作品の持つ記憶喚起力以上の何ものかの素晴らしさです。
「記念写真」という言葉があるように、映像は何らかの記憶を焼き付けるため、開けばそれを思いださせてくれる玉手箱のような機能を持っています。しかし、実はそれに加えて、そのとき気がつかなかったものまで発見させてくれるという魅力もあります。記念写真を見て、背景にこんなものがあったのかと発見することはよくあることです。隣にいる人がどんな表情をしているかは、いや自分の顔すら、写真を見るまでは実は分かっていないのです。写真は記憶以上のものを焼き付けています。

さらに動画に人の手が加わって、映像作品としてまとめられると、ものが存在していたという次元とは別の新たな発見があります。こんなエピソードがあったなんて知らなかったとかあの時あいつはあんなことを考えていたんだという驚き。ナラティブなものと言えばいいのか、そんなものが時間の流れの中に織り込まれています。

「虹のかなた」を拝見して、アチェ公演に同行していた者としては、もちろん見知った風景はあるものの、そんなことがあったんだあと初めて知ることがたくさんあったのには自分自身驚きました。

例えば仮設住宅の子供たちの表情に何を見るか。芝居のクライマックスで示される子供たちの反応にどう変化が生じてきたか。

それらが新鮮に映ずるのは、七瀬監督の視点がこの作品に横溢しているからにほかなりません。

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植民地とテロと援助

とてつもなく面白い映画を見ました。2時間あっと言う間です。
「アルジェの戦い」ジッロ・ポンテコルヴォ監督の1965年の作品。

アルジェリアの対フランス独立闘争を描いたものです。1954年頃から独立を勝ち取る1962年までのアルジェでの解放戦線と仏空挺師団の戦いです。

「グラッツェ」という言葉が頻繁に聞こえるので、おかしいなと思ったらイタリアとアルジェリアの合作なのですね。監督は「死刑台のメロディ」も作っているイタリアでは左翼と言われている人です。

興味深いことが三つありました。
一つは、憎しみの連鎖が一般人を巻き込んでいく過程です。解放戦線は当初フランス警察官を殺害していましたが、ある時警察がカスバの住宅街を爆破させたことから、一般のフランス人が集まるカフェや空港での爆弾テロへと走ります。その結果本国から空挺師団が派遣され、カスバの住民に対する弾圧が激しさを増します。ついには、解放戦線は車から市街を歩いているフランス人めがけて自動小銃を撃ちまくるのであります。

この戦い自体は反植民地闘争としてアルジェリア解放戦線に分があるのでしょうが、「自由平等博愛」のトリコロールは50年前にはフランス人同士での話にしかすぎず、アルジェの地で我が物顔に振舞っていたとしても、殺されてしまうほどではなかろうとも思います。

二つめは、元レジスタンスの闘志マシュー中佐の発言。カスバの住民に向かって、「学校や道路、病院を作ったのは誰だ?」とフランス政府への恩を思い出させる場面があります。思わず援助の世界を思い出してしまいました。
もちろん、「政治上も主権を有しない属領で、ある国からの植民(海外移住者)によって開発され、経済的・政治的にその国に支配されている地域。武力によって獲得した領土」である植民地と主権も政府もある被援助国は違います。
でも、宗主国も援助国も詰まるところ目的は同じような気がします。それは資源です。援助国は自国の企業が被援助国の資源開発を有利に進めることができるように、あるいはその資源を安定的に確保するために、援助をしているといっても言いすぎではありません。
武力を使わないし、資源の対価も支払われているのでしょうからその分進歩したと喜ぶべきなのでしょう。

もう一つは、レジスタンスとテロの違いですね。この映画でもフランスは解放戦線の抵抗をテロと呼びます。ただ、歴史の評価としてはこれはレジスタンスですね。今声高に叫ばれている「テロとの戦い」というのは、マシュー中佐が解放戦線の抵抗をテロと呼ぶのとどこが違うのかという問題です。アルジェリア解放戦線は植民地支配からの解放という大義名分がありました。アル・カーイダはアメリカに支配されているわけではないです。では別の大義名分がありうるのか?その辺はよく分からないのですが、私は、非戦闘員を巻き込むようなもの(未必の故意であっても)はテロと呼びたい気がします。

解放戦線が壊滅した1957年から3年後、アルジェの民衆が一斉に蜂起します。街はアルジェリア国旗を振る何万という人々であふれ、仏軍はなすすべもなくついに1962年、アルジェリアは独立します。そのとき、天安門のようなことをしなかったことだけは、フランスを評価してもよいのかもしれません。

アルジェの戦い(トールケース仕様)アルジェの戦い(トールケース仕様)
(2002/11/25)
ジッロ・ポンテコルヴォ、エンニオ・モリコーネ 他

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うせもの いでし

「ぐわんもう叶ひがたし 病人おぼつかなし うせものいでがたし まち人きたらず やづくり、ひきこし、わろし たびだちわろし よめとり、むことり、人をかかへるわろし」

浅草寺のおみくじだそうです。もちろん凶。
こんなん引いたら今年一年怖いもんなしです。何か悪いことがあってもおみくじどおりって納得できます。

昔から気になっていたんですが、「うせもの」だけどうも並びが悪いように思います。
「よめとり」や「やづくり」などなど、ほかの事は一生を左右するような大きなことなのに、「うせもの」って、単に失くし物じゃないですか。

もちろん、大金や大事な書類なんかを失くしたら大変ですが、年に一度は酔っぱらってかばんや携帯を失くす人間にとっては、あんまりしょっちゅうあるんで、どうも軽んじてしまうのです。それがいけないのかもしれませんが・・・。

今日は、うせものが二つも見つかりました。

一つはクレジットカード。年末から行方不明になっていたのですが、記憶を辿るとガソリンスタンドで使ったのが最後、車の中を探しても見つかりませんでした。今日になってやっと、運転席のシートの助手席側の隙間を探してみて、見つけました。なぜ前に探したときにはこの隙間を見なかったんだろうと思いますが、不思議なことにそのときはそこに目が行かなかったのです。

もう一つは母親の健康保健証。これもまた記憶を辿ると、入院中の母から先週末に病院で預かってどこかに丹念に仕舞い込んだことまでは思い出すのですが、それがどこなのかがもやもやしていました。財布なのか、手帳なのか、それともそのときに持っていた母宛の郵便物の封筒になのか、でもいずれにもありません。結局そのとき着ていたジャンパーの内ポケットに入っていました。出てきて初めて、仕舞い込んだときの情景を思いだすことができました。

記憶とは本当に不思議なものです。
映画や小説で記憶を扱ったものがたくさんあるのもむべなるかなです。「博士の愛した数式」「メメント」「エターナルサンシャイン」「リセット」「明日の記憶」などなど。

よく、記憶自体は残っているけど、引き出せないだけだと言いますが、今日は二回も引き出す快感を味わいました。引き出せたことをよろこぶべきなのか、忘れてしまっていたことを嘆くべきなのか。たぶん前者でしょう。

「うせもの」がおみくじの一大テーマとなっている理由は、単に失くしたものが見つかるかどうかということではなくて、失くしたものを引き出す能力があるかどうかを示唆しているのかもしれません。脳の働きを占うということだとすると、「うせもの」が急に重要に見えてきました。

実はもうふたつ、ミニSDのアダプターと筆入れが去年から見当たらないんですが・・・。

和風スタジオふすまオープン!

いったいどうしちゃったのかしらと思うぐらい、連日書いています。

雨の中、遠路はるばるナレーターさんと音声さん、写真には写っていませんがもう一方明日成人式を迎える高校の後輩が我が家へ来てくださいました。

studiofusuma

何をしているかと申しますと、ビデオにナレーションを入れているのです。いわゆる「音入れ」です。親父ギャグの一つに、「ちょっと録音室に行って来る」なんてのがありましたが、その「音入れ」です。

去年の10月に行われたイベント「2007 HugNet」の30分バージョンがやっと完成しました。24時間のイベントを30分にまとめるのですから、それはそれは大変・・・、と言いたい所なんですが、時間を縮めるのはそれほど苦にならないのですね。なんせ、時間と空間を飛び越えるのが映像表現の醍醐味でありますから。むしろ絵が変わらないほうが辛いです。

ナレーターさんはHugNetの参加者の一人、ヨーコさんです。高めの声質にディレクターが白羽の矢をたて、お願いしました。初めてのナレーション体験でしたが、画面とばっちりマッチしてました。事前にダミーでディレクター氏が自分の声を入れてみたのですが、比べ物にならないくらい良かったです(当たり前か)。しかし、小学校教諭の道を捨てて芸能界になんて、道を誤ってはいけません。

で、少々堅い話を一つ。
今回、ナレーションを書くとき、一つの言葉がつきまとって離れなかったんです。

「ナレーションは補完ではなくて異化効果を狙う」(森達也『表現者の自由』p159)

異化効果とは何か、うまく説明できませんが、この文脈では、映像を分かりやすくするための情報をナレーションで提供するのではなく、映像と響きあって、あるいは新鮮な驚きを感じさせるような言葉でもって、違う次元の何かを見せるようなナレーションを書くべきということだと解釈します。

この点でいうと、今回の作品ではそのような試みはできませんでした。もちろん、作品の狙いによって、異化効果を狙うよりも同化という手法をとるのも悪いわけではありません。大多数の人々は、映像作品を見るときに同化作用による心地よさを求めているのですから。

ともあれ、これが映像制作再開第一作になりそうです。

表現者の自由―映像の力と責任をめぐる対話表現者の自由―映像の力と責任をめぐる対話
(2004/07)
不明

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新テロ法とISAF参加

  • Day:2008.01.11 21:51
  • Cat:時事
いただいた年賀状の一枚に、当ブログは「社会派」で「チョット難しいなあ」というご叱責を頂戴しました。

平易な言葉で書くというのは難しいもので、修行が足りず申し訳なく思います。

で、今日は努力してかんたんな表現を試みようと、テーマはやっぱり今日成立した新テロ法でしょうか。

私の考えは実は小沢一郎民主党党首に近いのです。
不朽の自由作戦の一環としてのインド洋での給油活動は憲法上の問題もあり、かつ個人的にも反対です。
そして、アフガニスタンで展開しているISAFへの参加は、やはりこれも憲法上問題はありますが(ここは小沢氏と違います)、賛成であります。

2001年の末に出張でJICAアフガニスタン事務所へ行きました。JICA関係者の生活環境や医療事情を調べて、少しでも改善するためでした。そのとき素朴に思ったのは、他の援助機関(USAIDやEUなど)は、いざというときに頼れる自国の軍が来ているんですが、ODAで来ていて、徒手空拳なのは日本だけなのです。カンダハルの米軍医療施設を訪問して、何かあったらよろしくとお願いしたら、「日本はCoalitionだからなんとかしてやろう」と言われてなんだか情けなくなったのを覚えています。ただ、これは理由にはなりません。

賛成の理由は次のように考えるからです。

そもそも憲法9条が、日本国に戦力の不保持を義務付けた、国際紛争解決の手段としての戦争、武力の行使・威嚇を放棄させたのは、言うまでもなく満州事変から続いた15年戦争を反省させるためです。
この15年戦争の中でも、「軍の性」として特筆すべきは、張作霖爆殺事件、柳条湖事件のような「自作自演」と、第二次上海事変から南京進軍にいたる「暴走」が挙げられると思うのです。つまり、日本の軍ってのはほうっておくとなんかやりたくなってしまう危ない存在だと。だから、海外へは出さないことにしました(そもそも保持しないことになっていたのですが、それはおいておくとして)。その意味では、ISAFに参加することも危ないわけです。

決定的な違いは指揮権が誰にあるかということです。大日本帝国陸軍とISAFではその点が違います。ISAFの指揮権は今NATOにあります。自衛隊がNATOに参加するということはNATOの指揮下に入るということなのです。それなら、「自作自演」や「暴走」の心配は限りなく小さいのではないですか?

それでもなお、という考えもよく分かります。
100%ないとは言えないし、第一参加してもメリットないじゃん、もしも犠牲者が出たらどうすんのよ、と。

制度的保障っていう概念があります。憲法の基本的人権を守るために、制度で歯止めをかけるんです。例えば、政教分離。国家と宗教を分離する制度を設けました。これは、もしも国家が特定の宗教と一体化してしまうと、戦前の日本の国家神道のように、他の宗教を圧迫し、信教の自由を侵害しかねないからです。
もう一つ例を挙げると、大学の自治というのがあります。これも基本的人権としての学問の自由を保障するためのものです。政府が大学を直轄しても、学問の自由はあるかもしれないけど、心配だから大学に自治を与えようということです(放棄しているところもありますが)。

9条も、相手国民の人権を守るために設けられた制度的保障と考えられるのではないかと私は思っています。制度的保障は、とても重要ですが、それそのものには価値はありません。あくまでもそれによって保障されるものに価値があるわけです。

「羹に懲りて膾を吹く」が戦後の日本だったとすると、もう少々ぎりぎりのところで難しい舵取りをしていかなければ、いい世の中になっていかないと思うことがよくあります。これもその一つではないかと。

そのときにどこまで緩和できるかというのが、国連決議に基づくか否かという線引きだと思います。米軍主導の不朽の自由作戦を認めれば、歯止めがなくなってしまうのではと恐れます。

ISAFへの参加が、アフガニスタン国民の人権を侵害するものになるのか、保護するものになるのか?
そう考えると何のメリットもないとも言えないのではないかと思うんですね。むしろ、バードンシェアリングを逃げているような後ろめたさを感じます。

自給自足生活へ

淡路島の友人が、太刀魚を釣ったとかアナゴを骨まで食べつくしたなどと知らせてくれるもので、某もせっかく海の近くに住んでいるんだからと、倉庫から父親の竿とリールをしょっ引きだし、仕掛けと青イソメを買ってもう4日連続で港に通っています。

今日の釣果は、ご覧のとおり。半日で4匹(4日間で最高とは言うものの、隣のおじさんなんか40匹も釣ってました)。
seigonitsuke

セイゴが2匹と、名前不詳の2匹です。煮ていただきました。
自分で釣ったからというわけではありませんが、ご飯をお替りしてしまうほど、うまかった。
この後煮汁で里芋を煮ようと企てています。

場所は銚子漁港の岸壁です。

萌の朱雀

  • Day:2008.01.07 20:21
  • Cat:映画
今年は書評と映画評になってしまいそうな予感です。
これも花を咲かせるための肥やしと思っていただければ…。

河瀬直美監督の35㎜初作品です。
物語は、奈良の山奥に住む少々家族構成の変わった一家の出来事です。
おばあさんと息子(父)、嫁、孫娘に、嫁と孫の中間ぐらいの年の青年(実はおばあさんの娘の子)が、眺望の素晴らしい家に住んでいます。父親はどうやら鉄道誘致に熱心で、その計画が頓挫したことから行方をくらましてしまいます。青年は嫁さんに、孫娘は青年に恋心をいだいていて、お互いにそれが分かっていますが、どうすることもできません。母子は実家に帰ることになり、出発の朝、父の撮った8ミリフィルムを見ることになります。そこに映っていたものは、木々の緑、水辺の光、近所の爺さん婆さんの笑顔でした。見送るとき、青年は母子と長い長い握手をします。

と、ストーリーを書くと、一応ドラマチックなことが起こっていますから、作ろうと思えば涙腺を刺激する映画にできなくはありません。でも、河瀬監督はそうしませんでした。

徹底してストーリーの分かりやすさを拒絶した映画です。
でも退屈はしません。情感のにじみ出るシーンがいくつもあるからです。ファーストシーンの台所でのおばあさんと嫁の後姿、老人ホームへ行くことになった隣家のおじいさんの深々と下げられた頭、泣きながら坂道を降りていく嫁。

河瀬監督は、いつか見た情景、脳裏に焼きついて離れない場面を映像化したかった、そしてそれらをつないで一応のストーリーをつけたんではないかと思います。ストーリーに収まりきらなかったシーンを遺留品の8ミリフィルムに焼き付けたのではないか。それらを観客と共有したかったのではないかと。

忘れられないシーンがあったら、監督の狙い通りです。

萌の朱雀萌の朱雀
(2007/09/25)
國村 隼.尾野真千子.和泉幸子.柴田浩太郎.神村泰代.向平和文.山口沙弥加 他

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緑の光線

  • Day:2008.01.05 22:08
  • Cat:映画
図書館が開いたので、満を持して馳せ参じました。
DVDの棚を端から順番に眺めていきます。今年最初の一本ということもあり、少し硬いものを見てみたい気分でした。
サタジット・レイかルイ・マルか、『モスクワは涙を信じない』なんてのもあるな・・・。

と、目を疑いました。
あるはずのないものを見てしまった驚き、口座残高が10桁あったとしてもこんなに驚かないと思います。

『緑の光線』エリック・ロメール監督。まさか、この映画がこんな場所にあるとは。
今朝ご紹介した佐藤真監督が、生涯ベスト1と書いていたこの映画を口開けに見られるなんて、今年はいい年になるかもしれません。

物語は簡単です。パリに住み秘書として働くデルフィーヌは、バカンスを一緒に過ごす約束をしていた女友達からドタキャンされ、ギリシャ旅行がパーになってしまいます。2年前に恋人と別れて以来新しい恋にめぐり合えない彼女は、友人たちからさんざん叱咤激励されシェルブールやビアリッツ等々に行きますが、どこへ行っても居場所がなく、焦燥感に駆られ泣き出してしまいます。

この映画の魅力はデルフィーヌが泣く場面のいたたまれなさと、そこにいたるまでに交わされる家族やともだちとの「普通」のやりとり。デルフィーヌは4回泣くのですが、そのたびに、誰もが体験したことのある無力感、絶望、孤独を否応なく思い出させられてしまいます。それまで交わされる会話に感情の起伏がほとんどないことが、デルフィーヌの嗚咽を際立たせています。役者たちは、演技していないような演技をしています。普通に食事しているグループを、普通に撮ったかのようなシーンが収められています。

「緑の光線」の意味はジュール・ヴェルヌの同名の小説から。日没後放たれる緑色の光を見た者は、人の気持ちが分かるようになるというのです。

この後、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(セルジオ・レオーネ)の前編を見ました。こちらはのっけから殺人あり、流血ありですが、それはそれとして面白く見ました。

人生を考えさせる映画と、人生を忘れさせる映画があります

今日、日没を某病院の窓から見ていましたが、橙色の光線しか見えませんでした。
人の心は、分からないほうがいいかもしれません。

エリック・ロメール コレクション 緑の光線エリック・ロメール コレクション 緑の光線
(2007/05/26)
マリー・リヴィエール、ヴァンサン・ゴーチエ 他

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明けましておめでとうございます

nengajou

本年も、よろしくお願い申し上げます。

年末年始は『日常という名の鏡』(佐藤真著)を読んでいました。
著者は『阿賀に生きる』(1992)という、阿賀野川流域の3組の家族の日常を撮影したドキュメンタリー映画の監督です。未見ですが、今年最も見たい映画です。

読んでいて、共感できることがたくさんありました。
例えば、こんな部分。

 「人は社会問題やテーマのために生きているのではない。いかに社会的テーマをかかえていようと、人の日常は平凡でありきたりなものだ。逆に、社会問題やテーマに合致する特別なところだけを、普通の暮らしの中からピックアップすることによってはじめて、社会問題が問題たりえるのだ。この世に障害者や水俣病患者が存在するのではなく、人がそう呼んで区別するから障害者や水俣病患者が生まれる。したがって、その社会問題のあり方は、作り手の政治性によって右にも左にも、白にも黒にもなる。
 私たちが念仏のように唱えていた普通の暮らしとは、そういった作り手の政治的意図が通用しない日常そのものである。それは、とりとめもなく、さりげなく、解釈不能なほど退屈なものだ。でも、本当にそんなものが撮れたりするのだろうか。そんな無垢な日常は、追いかけようと思ったとたんに手の届かないところへ逃げる蜃気楼のようなものなのではないか。」

阿賀野川といえば、新潟水俣病で知られていますが、佐藤監督はこの問題を前面に出すのではなく、未認定患者3家族(「百姓、船大工、職人)の日常をフィルムに収めます。16年も前にこんなことを考えてドキュメンタリーを撮った人がいたとは衝撃です。

この映画は数々の映画祭で受賞し、とても評価されました。
でも、佐藤監督は「悪評」を引用して、この映画の欠点もさらけ出しています。

「ドキュメンタリーというものは、人びとの暮らしや日常を撮りながら、いわばその日常性を切り裂き、日常性の深部に潜むものを抽出し浮かびあがらせるものだと思う。(中略)『阿賀に生きる』では、随所にカメラを意識させるカットが登場するが、カメラは常にオポチュニックなおかしみに彩られており、それが恰好のリード役を果たしているが、のっぴきならない形でカメラが画面の中に現れてくることはない。きわめて完成度の高い技術的にも練達された作品であり、若いスタッフがここまで到達したのは驚嘆に値するが、一服の楽しい絵物語を見た心地よさが残るにもかかわらず、現代の私たちの生の不安に共振してくるものが感じられないように思う。もし、あの酔っ払ったシーンを切り返し、物語へと収斂していく映像を壊すようなスタッフ討論がなされていたら、『阿賀に生きる』はスゴミをもった作品になったのではないだろうか。」(福田克彦「カメラが翻弄されている」『映画芸術』1992年冬366号)

新春早々、長い引用で恐縮です。でも、つくづく思いました。
いったいおまえは、何をするのかと。

日常という名の鏡―ドキュメンタリー映画の界隈日常という名の鏡―ドキュメンタリー映画の界隈
(1997/10)
佐藤 真

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