スリランカの「ありがとう」は聞けるだろうか?

柄ではないのですが、連休の中日で人がいなくて、審査員なるものをさせていただきました。

英語・日本語スピーチ大会のでございます。“COM杯”という名称が付与されています。

総勢40名の小中高生とスリランカ人留学生が、日本語弁論、英語弁論、英語暗唱の腕を競いました。
未だに英語もろくに理解できないのですが、ALT(日本の小中学校で英語を教えている英語を母国語としている先生)の方々に混じって、発表を聞かせてもらいました。

おもしろかったですよ。うまいなあ、という子もいれば、棒読みだけど気持ちは伝わってるなあという子もいるし、テーマの選び方にはいまどきの青少年がどんなことを考えているのか、(よそいきだけど)少しは感じられました。
優勝者は「よさこい」の踊りに熱中している中学三年生の女子でした。4年前から銚子で「黒潮よさこい祭り」が始まったのですが、これにはまってるんですね。
嬉しかったのは、地域に愛着を抱いている人が多かったこと。都会へ出たいという気持ちもないではないですが、育ったところとして大事に考えているんですよね。私なんか、少しでも遠くへ行きたいという放浪癖ですから、みんな素直だなと感じました。

よく、世の中で起こっている紛争は、コミュニケーションの不足に起因している、コミュニケーション能力を高めることは「平和」につながるんだと言われますよね。私もそうあってほしいと思っています。

ところが最近これと正反対の言説に出会いました。

「言葉がお互いに通じない人同士と、言葉が通じてコミュニケーションがとれる人同士とでは、どっちが衝突が多いかというと、後者の方がはるかに多い。国家の間でも、協定を結んだ国同士のほうが、戦争勃発の可能性は高くなります」 
       (立松和平、西江雅之「国境なき自己主張の時代」朝日新聞1993年1月1日)

庄野護著『スリランカ学の冒険』(南船北馬舎1996)からの孫引きです。これもまた、むべなるかなと思います。口は災いの元ですから、ああ言わなければけんかにならなかったのに、なんであんなこと言っちまったんだっぺ、舌噛んで死んじゃいたい!という思いをした経験は誰もが持っているでしょう?

ちなみに、著者庄野氏が朝日の記事を引用したのは、スリランカでは「ありがとう」という言葉はめったに発せらず表情や仕種で感謝の意を表すという話の流れで、「感情を非言語的コミュニケーションで交流しあうことは、人間のコミュニケーションとしてはかなり高度な非暴力的(平和的)交流であるような気がするのである。」という仮説を補強するためでした。興味深いですね。

スピーチ大会に参加していたスリランカ人お二人には、このことを聞いてみることはできませんでした。でも、ウプルさんのスピーチには、「日本人が『ありがとう』と口にする習慣はすばらしい」とありまして、ふふ~んと思ったものです。

うまくいけば1月にスリランカに行く機会があります。「イストティ」という言葉が聞けるか、楽しみです。
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オリオンとカレー

昨日は最終で東京から帰ってきました。

10分ほどの家路ですが、こんなすてきな夜空が迎えてくれます。

ORION

高村光太郎を気取って、「きっぱりと冬が来た」と一人ごち、ドアを開けると、

CURRY

ほかほかです。

冬支度 その2

maki

薪ストーブは人を3度暖めてくれる。

1度目は、薪割りをするとき、
2度目は、ストーブで薪を燃やすとき、
3度目は、ストーブで煮込んだシチューを食べるとき。


このところ冷え込んできましたので、薪割りをして体を暖めています。今日も丸太3本+小枝一抱えほど。

斧がわざとらしく写っていますが、こいつの出番はほんとは少ないんです。

直径が15cm、長さが30㎝を超えるような丸太はまず斧では割れません。去年クリーンセンターでもらってきた庭木の玉切りは、直径20cm、長さ50cmもある代物でした。

どうやって割ろうか、チェーンソーを買って短く伐れば斧で割れるとは思うのだが…(でもこれだけのためにチェーンソーを買うのは勿体無いし)。

誰かに聞いた言葉が蘇ります。「太い丸木は楔で割ったよぅ」

倉庫を捜索して、タガネを5本ほど見つけ、でかい金槌で打ち込み始めました。一本打ち込んでできた割れ目にもう一本、細いのから太いのへ。

するとメリメリぱきぱきと悲鳴のような音が。この太い丸太が、見事に二つに割れ、サディスト的快感を味わってしまいました。

さらに4分の1に割り、電動丸ノコで20cm程度に伐り、ようやく斧の出番です。

パカンと真っ二つに割れたときの気分は最高です。
でも、写真のごとく、きれいに割れることはなかなかないのですよ。

薪割りというと『シェーン』のアラン・ラッドが思い浮かびますが、斧で割る前にいろいろあるんです。あの時代はチェーンソーはないですから、楔を使っていたはずです。

何事も見えないところに苦労がありますね。

カフカ君の誕生日

 村上春樹の『海辺のカフカ』、読まれた方も多いと思います。
 私も昨年読んで結構はまり、アマゾンのカスタマー・レビューに投稿してしまいました。転載します。

 
「オイディプスコンプレックス・憑依・死の世界・超能力などを舞台設定に、カフカ少年の“成長”を一応時間の流れにして、世界観・文学・音楽に関するペダンティックでない知識が散りばめられたとても面白い物語。氏の構成力、文章力、想像力に毎度のことながら感心します。

特に印象的なのは漱石の「坑夫」についてのカフカの感想。「この小説はいったいなにを言いたいんだろう」「でもなんていうのかな、そういう『なにを言いたいのかわからない』という部分が不思議に心に残るんだ。」
これはそのまま本書についての読者の感想といえるのではないだろうか。

文学・小説についてのもっと知識があればより楽しめるのではないかとも思う。巻末に載せられた、本書と関連する文学作品を読みたくなる。読書欲をそそる書。 」


 今思うと、肝心なことが書かれていませんが、それはそれとしまして、その後文学会(という名の飲み会)で、これを取り上げることになり、再読しました。

 そこではて?と思ったのです。
 カフカ君は15歳の誕生日前日に家出をするのですが、肝心の誕生日が何日なのかははっきりと書かれていないのです。
 そこで、このような表を作ってみました。PDFファイルです。

 カフカ君の誕生日を知るための構成表

 この物語は、カフカ君の行動と、ナカタさん&ホシノさんの行動が交互に章立てされているのですが、時間的には若干のずれがあるんですね。ついでにこれもわかるようにしています。

 父親が亡くなった日から具体的な日付を特定し、激しい雷のあった日から両者の行動日を一致させ、その前後を埋めていくという方法をとりました。

 その結果、カフカ君の誕生日は5月19日と推定されました!

 さらに、5月19日生まれの有名人を調べてみたんです。絶対何か隠されているとにらみました。ひょっとして村上春樹本人?やっぱりフランツ・カフカか?それとも漱石?アイヒマンだったらどうしようなどとわくわくしながら。

 でも、ぴんとくる人がいませんでした。ホー・チ・ミン、マルコムX、アンドレ・ザ・ジャイアント、鈴木志郎康…と興味深い人たちが並んでいましたが、本文と関係ありそうな人は見当たらなかったんです。こうなると、ちょっと5月19日というのが怪しくなります。でも前後の日にもこれという人はいないんですよ。

 なんとも落ちのない話で恐縮です。

 
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入会地の今

入会(いりあい)って言葉、聞いた事ありますよね。

人々が薪や蔓、山菜やきのこをとったり、炭を焼いたり、昼寝したり、山を共同で利用すること、かな。

山ってとても大きくて手のかかるものだから、個人で所有するよりもみんなで使って守るほうがいいっていうのは自然な発想だと思います。それが近代民法の所有権なる概念が導入されて、はたまた固定資産税をとるためという事情もあって、持ち主が定まっていなかった多くの入会地が国有地や村有地、個人のものになっていった。

国有地、村有地になると、勝手に入ってはいけないことになります。個人のものになると売っちゃったりします。それでどんどん山に手が入らなくなり、荒れていく、ということみたいです。

でも、これを防ぐために知恵を絞ってきた人たちが日本にも大勢いるのですね。

経験をつなぐ


いりあい・よりあい・まなびあいネットワーク
という団体がまとめたこの報告書。知らないことがたくさんありました。

国有林から住民が締め出されるという、同じような状況に直面しているインドネシアの人たちと、入会を続けてきた日本の知恵者たちの交流を、とても読みやすい文章で伝えてくれます。

日本の知恵のひとつは、「財産区」という聞きなれない仕組み。そういえば地方自治法にそんな単語があったっけ。

詳しくは本書をお手に取っていただければと思います。1000円+送料で分けてもらえるようです。

読みでがあります。
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